妙法寺山門 享保14年(1729) 大工西田弥八郎建立 鐘は中央  兵庫県丹波市青垣町小倉  2003.5.5
妙法寺山門 享保14年 大工西田弥八郎建立  兵庫県丹波市 2003.5.5

  竹内正道著作集  立正山 妙法寺
第一章
 
開山の智願院さま
  はじめに  立正山 妙法寺  妙法蓮華経はどんなお経  本尊さまは何ですか
開山の智願院さま  法華宗はどんな宗旨  毎日のおつとめ  妙見さん  鬼子母神さま
 

Founder Chiganin sama

 
   
 



 
 
 

vol.104  2005.2.12

 

はじめに
 Introduction 

 

 

 二十一世紀はどんな社会になるのでしょうか。資本主義が行き詰まり「ものに代わってこころの社会」になるとか、個人の人権がさらに重視され、競争の社会から共生の社会になるといわれています。

 資本主義は豊かさと便利さ、快適さをもたらし科学・技術・医学を発展させ、経済成長・消費拡大が美徳とされてきました。しかし、人間の欲望には限度がありませんので、有限の地球を市場原理にまかせてきましたため人類破滅の危機が近づいてきました。異常気象人口爆発貧富の拡大環境破壊資源の枯渇医療費の増大など大きな課題をつきつけられ、政治経済教育も大改革をしなければならなくなり、日本の不況がアジア諸国に迷惑をかけています。

 

 釈尊がこの世にお生まれになったのは、この世の人々に仏さまの悟りと同じ悟りを開かせて、平和で安楽な生き方をさせるためでありました。その教えが仏教であり、仏教の根本が法華経なのです。この法華経を心から信じ、よりどころとして生活しなければ、幸福な人生などありえないと日蓮聖人はいわれております。人は六道に流転し五濁の泥にまみれて生きているけれども、心の底に仏性をもっているので、これに気付き、開花されるために生まれてきたのだといわれています。

 正しいことが行われず、悪いことをしてもとも思わない世の中で生きていても、仏性があらわれ、悪いことは悪いとわかり、善いことは善いとわかる心が信仰でつちかわれてくるのです。善根を積めば善果が、悪業をなせば悪い報いが必ずくるので善根をつんでいれば成仏も間違いないという法華経の教えを信じ、理解し、日々の生活に生かすことを本仏さまに誓い祈る信仰が大切なのです。

 

 妙法寺の檀信徒の方はこの法華経に篤い信仰と深い理解をしめされて、お題目を唱えながら生活され、妙法寺の護持につとめてこられました。信仰されたのです。ところが、最近高齢化の社会となり、寺は葬式、法事だけの関係となり、親の法事も塔婆だけとなり、若い人は信仰と無関係な毎日を送っており、ものを見る価値判断も「損か得か」という経済観念が優先され、親と子夫婦の関係、人間関係も「愛と信仰」を忘れた希薄なものとなり家庭の崩壊が増えてきました。

 共生の時代です。先祖のこと、仏教、法華経の真理への参入、何を祀り、何を信仰するのが正しいのか、妙法寺はどんな由緒があり、檀家の人に何を教えようとしているのかということをはっきりさせなければなりません。檀家や、ご縁のある方でさえ何を本尊とし、何を教えている寺かはっきりしないというのでは住職の怠惰です。

 

 そのような思いからこの本を書きました。どんな年中行事を何のためにしているのか、妙法寺四百五十年の寺歴で、何を大切にしてこの寺を護持してきたのか、特に明治以降の百年間、どのような住職、総代、そして苦しい生活の中から妙法寺をまもってきた有縁の人々のことを後世に伝えたいという思いもありました。

 調査に時間をかけたのは、檀家の先祖のことです。先祖のことをできるだけはっきりさせ、自分の命のみなもとの深さに気づき「みなもとの遠い大生命」とのかかわりで生きていることを再発見することが個人の尊厳にかかわることであり先祖との共生が大切だからです。ただ寺の資料では女性のことがわかりにくく限界があります。

 このささやかな小冊子がご縁のあります方々に読んでいただき、家族の話題にしていただきたいものと念じております。

 

平成十年秋  妙法寺住職  竹内正道

 

 

 

 


本堂玄関の小島省斉筆大額 明治3年(1870)

 

 

 

 

vol.105  2005.2.14

 

立正山 妙法寺
 Rissyouzan Myouhouji 

 

 

 佐治の町はずれ、神楽と遠阪への別れ道にほど近い小倉地内にある立正山妙法寺は、法華宗総本山本隆寺末。開基は足立権太兵衛基則、開山は智願院日岏上人で四百五十年前の創建である。開山は法華宗真門流の開祖日真上人の直弟子で、天文年間に丹波を巡り岩本の庵室で説法をしていたところ、岩本城主足立基則の帰依を得て足立氏の下屋敷に妙法寺を建立した。

 足立基則は足立堀殿の末流で小倉に居をかまえていたが、その下屋敷五反七畝十七歩を境内として妙法寺を建立、丹波天正の乱では明智光秀に属していた。天正十年(一五八二)六月二日の本能寺の変に参戦、舎弟宗直、子息宗忠とともに翌一月十八日亀山で自害。その法名は源勝院殿日法大居士といい、墓は妙法寺の歴代住職墓地にある。

 基則の妻女の実家は桑山家といわれ、天正十年六月に桑山修理亮重勝の制札を下付させ、妙法寺を外護させている。この桑山重勝はのちに豊臣秀長に仕えているが、和歌山城時代に法華寺に隣接する海龍王寺より、南都絵仏師大法眼命尊筆の涅槃像を入手し、妙法寺に寄進した。

 命尊は興福寺金堂の本尊吉祥天女台座に名が記され、厨子の「七宝山図」「梵天、帝釈天像」を画いた大仏師法眼である。命尊筆のものは昭和四年の「国華」に掲載された藤田家の涅槃像があったが所在不明。海外へ流出したものもあり、国内唯一の美術的価値ある逸品と評価されている。

 

 また建治二年(一二七六)日進授与の日蓮上人曼陀羅、延徳二年(一四九〇)日真大和尚曼陀羅、天正十一年(一五八三)の開山日岏画像など二度の大火からも救出した重宝もあるが、建物は享保十四年(一七二九)建立の山門以外は大正期以降で、庫裡は大正期建築をそのまま改修、妙見堂は能勢妙見の本殿を、本堂は夢殿をモデルにしたものであり、庫裡の十二枚の襖絵は小川鉄男画伯の青垣風景である。

丹波新聞刊 「ふる里の寺」

 

 

 

 


豊臣秀長の家士、桑山修理亮重勝の制札 天正十年(1582)

 

 

 

 

vol.106  2005.2.19

 

妙法蓮華経はどんなお経
 Lotus Sutra, what kind of sutra 

 

  法華経こそお釈迦さまがこの世に出現した本懐であると見ぬいた日蓮上人は、寿量品第十六を根拠として、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏という十界は、それぞれの境地にそれぞれ備わり(十界互具)、いわば私たちの日常の心にあらゆる事象がすべて備わっている(一念三千)という教義を樹立されました。

 「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩の九種の境地は、無始無終久遠である本仏の境地にふくまれている」ということであり、「本仏の境地は無始無終久遠である九種の境地にそれぞれに備わっている」ということであります。

 私たちが孤独にさいなまれ悩み苦しみ、あるいは怒り心頭に発するときは、私たちに備わる地獄界が表面に出たときであり、貪り求めるときは心の中の餓鬼界が外面に顔を出したときであり、他者と張り合い争うときは修羅界が他界を圧したときであり、同情して慈悲の手をさしのべるときは菩薩の心が芽吹いたときです。こうみてくると、私たちに地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩の九界が備わっていることは経験上理解することができますが、はたして「仏界」が私たちの心に宿っているのか、仏がわが心の中に住んでいるのかという段になると、なかなか納得しにくいのが私たちです。

 お釈迦さまが仏になられる前に修行したあらゆる修行(因行)も、また、お釈迦さまが仏になってから後の「仏というもの」の全部(果徳)も、みなこの妙法蓮華経の五字に備わっているのであり、私たちがこの五字を受持すれば、お釈迦さまが仏になる前に修行したあらゆることも、仏になってから得たすべてのものも、自然に私たちにゆずられるのであります。

 私たちは末代悪世の凡夫であるから宗教的には低俗であるかもしれない。しかし「南無妙法蓮華経」と口に唱えることはできます。南無妙法蓮華経と唱えさえすれば、私たちの心の中の「仏界」が姿を現す、つまり「成仏できる」のであるといわれています。

 日蓮上人は、南無妙法蓮華経と口称すると、どうしてそこに浄土が顕現し、また唱えた人が何故に成仏できるのか、ということについて「法華初心成仏抄」でわかりやすく教えておられます。

 およそ妙法蓮華経とは、われら衆生の仏性と、梵王・帝釈等の仏性と、舎利弗・目連らの仏性と、文殊・弥勒らの仏性と、三世の諸仏のさとりの妙法と、一体不二なる理を妙法蓮華経と名づけたるなり。故にひとたび妙法蓮華経と唱ふれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・衆星・天神・地神ないし地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・一切衆生の心中の仏性を、唯一声に喚び顕わし奉る功徳は無量無辺なり。

 わが己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて、わが己心中の仏性が、南無妙法蓮華経とよびよばれて顕われ給うところを仏とはいうなり。たとえば籠の中の鳥なけば、空とぶ鳥のよばれて集まるがごとし。空とぶ鳥の集まれば、籠の中の鳥も出でんとするがごとし。口に妙法をよび奉れば、わが身の仏性もよばれてかならず顕われ給う。梵王・帝釈の仏性はよばれてわれらを守り給う。三世の諸仏の出世の本懐、一切衆生の皆成仏道の妙法というはこれなり。

 日蓮上人は、私たちの心の中に「仏性」(仏のタネ・仏となる可能性)があり、私たちが南無妙法蓮華経と口に唱えるということは、心の中の仏性を「呼び出す」ことであるとし、南無妙法蓮華経と呼びさえすれば「仏」(さとりの境地)も呼ばれて私たちに近よってくるといわれ、心の中から呼び出された仏性と、呼び寄せられた仏とは同質・全同であるから、そこで和合して一つになる。仏と仏たちが合体する、それが成仏であり、そこを「浄土」と名づけるといわれています。

 口に出して南無妙法蓮華経と唱えれば、心の中の仏が顕現して生きながらにして成仏できるのです。さらに現世の信心が未来を利益し、未来永劫にわたって久遠の本仏と共にいることができるのです。つまり、現世においてお題目を唱える私たちは、寿命を全うしてあの世へ移ってからは、「常に霊鷲山に在り」(寿量品)という久遠の本仏の御許・霊鷲山に往詣することができるのです。

 仏に聞きとどけられるようなお題目をお唱えすることによって、現世において成仏し、命終してからは霊山往詣できるのであってみれば、毎日の生活にあくせくするばかりでなく、日蓮上人の唱えたのと同じようなお題目を、私も、あなたもお唱えしたいものではありませんか。そのためには健康を保ち、悩みごとや苦しみを解決し、経済的にも豊かでなければなりませんがそれらはお題目を唱えれば、自ずと授かることではあるにしても、ご本尊やご守護神の加被力を得ての上での唱題であれば、相乗効果も働いて、さらに一層の拍車がかけられることとなるのです。

 

 

 


岩本弥八郎、徳畑仁右ヱ門寄進 天明4年(1784)

 

 

 

 

vol.107  2005.2.21

 

本尊さまは何ですか
 What is Principal object? 

 


丹波 妙法寺 本堂 三宝尊像(中央奥) 元和7年(1621)本行寺日圭開眼
中央 内藤雅雲仏師の日蓮聖人像

 

 法華経は、未来の伝道者として上行菩薩等を上首とする無数の菩薩たちを地中の虚空から湧き出させ(湧出品)、それらの菩薩たちは、何億万年という思いも及ばぬ遠い昔(無始久遠)から、お釈迦さまが教化して弟子とした菩薩たちである(寿量品)と説いています。

 恒河のほとり、菩提樹の下で三千余年前に成仏したと思われていたお釈迦さまは、実は「無始・無終の寿命を持つ救済主」・「久遠の本仏」がこの世に出現した姿であったのです。「久遠の本仏」とは、過去にも始めがなく、未来にも終わりがない永久不変の存在であって、常に悩み苦しみもだえる人びとを教化し救済しているのであり、この「久遠の本仏」が、私たちの「ご本尊」なのです。

 本尊の形態は、本師であるシャバの上に、南無妙法蓮華経の宝塔がそそりたち、その塔の左右にインドに生まれたお釈迦さまと多宝仏とがならび、その横に久遠の本仏の脇士(仏をたすけ、人びとを導く大士)である上行ボサツ・無辺行ボサツ・浄行ボサツ・安立行ボサツという四菩薩がならび、そのしもにモンジュシリボサツやミロクボサツなどをはじめとするインドのお釈迦さまの脇士が四菩薩の従者としてならび、その他のボサツ、他の国のボサツは一般大衆が貴賓席をのぞむような場所につき、他の仏土諸仏は大地の上に陣どっているのである。 (本尊抄)

 この文章を一幅の紙上に図示したのが「大曼荼羅」です。日蓮上人は、文永十年(一二七三)五月八日に「本尊抄」を述作し、そののち十三日たった五月二十一日に、初めてこの大曼荼羅を図顕し、それ以来多くの弟子・信者たちに「ご本尊」として授与され、七百年後の現在でも「百数十幅」にも及ぶ「日蓮上人自筆の大曼荼羅本尊」が伝承されております。文字で書かれたこの「大曼荼羅」を、仏像をもって端的に表現したものが「一塔両尊四士」又は「三宝さま」と呼ばれるご本尊です。

 中央に南無妙法蓮華経と書かれた宝塔が立ち、その宝塔の左にお釈迦さま、右に多宝如来が共に合掌して座し(以上が三宝さま)、その下座に上行・無辺行・浄行・安立行の四菩薩が安置された形が「一塔(宝塔)両尊(釈迦・多宝)四士(四菩薩)像」による本尊の型であります。

 日蓮上人は「本尊抄」で正法時代(お釈迦さま亡きあとの千年間)・像法時代(正法につぐ千年間)の二千年間は、カショウ尊者・アナン尊者を脇士とするお釈迦さまの像や、モンジュシリボサツやフゲンボサツを脇士とするお釈迦さまの像を作ったり書いたりして本尊としたが、その時代には寿量品で説きあかされた久遠の本仏を本尊としたことは一度もないのである。末法時代(日蓮上人の時代)になって、はじめて久遠の本仏の像があらわされたといわれています。

 カショウ・アナンを脇士とし、あるいはモンジュ・フゲンを脇士とするお釈迦さまは、インドで活躍し、インドで亡くなったお釈迦さまである。日蓮上人の意味するお釈迦さまは、もちろんインドで活躍されたお釈迦さまではあるものの、そのお釈迦さまを仏たらしめた本身・久遠実成のお釈迦さまである。そのことをはっきりと区別するために日蓮上人は、カショウやモンジュではなく、地湧の四菩薩(上行・無辺行・浄行・安立行)を脇士として表現されました。

 お釈迦さまとはいうものの他の宗派でお祀りするお釈迦さまではなく、私たちの奉ずる「ご本尊」とは、言葉で言えば「久遠の本仏」であり、形で表現するのには、「大曼荼羅」、「一塔両尊(三宝さま)」ということをご理解ください。

 

 

 

 

vol.108  2005.2.28

 

開山の智願院さま
 Founder Chiganin sama 

 


日脩上人筆の智願院画像と像賛 天正9年(1581)

 

 開山智願院日岏上人は、永正十三年(1516)にお生まれになりました。九才の春、当時最も有名であり、学徳ともに優れていた本隆寺開祖、常不軽院日真大和尚の門に入り、剃髪度牒を受けて名を圭讃と改めました。しかしながら、お師匠さまの日真大和尚は、この時すでに八十二才であり、三年後の享禄元年四月に八十五才でおなくなりになったのです。開山さまは、十三才の時に教え親であるお師匠さまになくなられ途方にくれてしまいました。

 そこで同じ日真大和尚のお弟子で「仏像造不之論」を著し、北陸に舞鶴に、はたまた叡山等で学説、徳行の高かった本隆寺第六世証誠院日雄上人のお弟子にして頂いたのであります。

 ご開山さまは、これから約二十年間昼となく夜となく師日雄上人に御給仕されることは勿論、数学を研鑽され、またご自身は質素な衣服と粗末な飲食で忍耐と辛抱をつづけられ、行学とも止暇断眠の修行をつづけられたのであります。やがてその御苦労と御修業がみのりまして、二祖の日鎮上人は御自分のお名の智願院というのを、御開祖さまの日岏上人にお譲りになって大いに大法弘通、広宣流布に更に精進するよう励まされたということです。

 名実ともに備わった御開山智願院さまは、いよいよ開祖日真大和尚の遺言といわれる「心を宗外の広宣流布に向けて勇猛精進せよ」を実行にうつすときがきたようです。天文十五年三十才のころ御師匠さまの発祥の地、山陰に向かって行脚布教の途に発足せられたのであります。村に人あれば法を説き、野に民あらば法華経を唱え、歩を止めては題目を高唱し法鼓を打って巡錫すること数年に及びました。

 やがてこのご開山さまの御修行の有様を耳にした足立権太兵衛基則という武士が、法門の話をきき、そのお人がらに感服して境内地を寄進し、寺を建てて上人の道場として大信者となったのです。上人はこの寺を妙法寺と名づけ、法華経本門の信行道場とされたのです。時に天文二十二年(一五五三)上人三十才のことでありました。

 さて、妙法寺を開創されました翌年、上杉謙信と武田信玄とが川中島で戦い、また織田信長が今川義元と桶狭間に戦うなど、世情騒然の有様であったのです。天文の初めには叡山の僧徒が京都二十一ヶ寺の本山を焼討にし、総本山本隆寺も堺に避難するなど大変な時でありました。京都に帰られた開山さまは、京都洛北の信者森吉太夫から京都在住の一寺を寄進されましたが、この寺が本久寺であります。森吉太夫は丹波周山の人というのみで、足立基則と関係があったのかもしれません。

 織田信長が足利将軍義昭を京都より追放し、室町幕府が滅亡した天正の初め、日岏上人は再び山陰地方に巡られ、黒井に蓮華寺を建立されました。更に摂津に行かれ、不惜身命の行化を続けられ、多田満仲の末流で能勢長左ェ門頼高が信者となります。この地に永享八年頃創建された智海坊という小庵があったのを再興して寺を建立、妙法蓮華経を能く持ち奉るということから持経寺と命名されました。そして六十歳の坂を越えられてから本久寺に止住されたと思われます。

 日岏上人は、本隆寺七祖日脩上人の法兄であり、この日脩上人の書かれたものが妙法寺に残されていますが、それによりますと、日岏上人は二祖日鎮上人の号を頂き、数ヶ寺を開き、これを本隆寺に嘱させ言行能く合致したまことに遊方の大士である。天正十一年五月五日日岏上人の臨終に際し、枕側に座し、ともに誦経唱題し、永袂の情溢れて衣袖を湿す。とあります。智願院日岏上人の偉業をしのび、勇猛精進、法華経本門寿量の弘教に不惜身命の願行に励まねばなりません。

矢放日城「日岏上人さま」

 

 

 

 

vol.109  2005.3.16

 

法華宗はどんな宗旨
 What kind of religion is the Hokke sect ? 

 

 

 【本尊】 「法華経」の「如来寿量品」の「久遠実成の釈迦牟尼仏」(永遠の救いを示す仏さま)を本尊とします。本尊の形は、一塔両尊四士など仏像によるものと、筆書きの大曼荼羅本尊がありますが、それらはすべて「法華経」にある諸仏の姿をあらわしています。
 妙法寺の本堂に安置されている本尊は、「一塔両尊四士」で、一塔とは「南無妙法蓮華経」の七字を書いた題目塔のことで、両尊は釈迦如来と多宝如来、四士は「法華経」の四大菩薩(上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩)です。題目塔を中心に向かって左に釈迦如来坐像、右に多宝如来坐像、その左右外側に四大菩薩を脇侍としておまつりします。

 【守護神】 法華宗では、守護神として鬼子母神、番神さんを「法華経」の修行者を守ってくれる善神としておまつりしています。
 妙法寺では「妙見大菩薩」が古くから信仰されており「開運」「交通安全」「進学成就」の神様としてお祭りしています。
 末法の世に「法華経」をひろめようとすると、いろいろな障害がありますが「法華経」を信仰する人を諸菩薩善神が必ず守ってくれると「法華経」に書かれてあります。

 【経典】 法華経を根本経典とします。正しくは「妙法蓮華経」といい鳩摩羅什の漢訳で八巻二十八品からなります。
 「法華経」の前半は方便品が中心で人間は千差万別でいろいろな人がいますが、身心ともに完全円満な仏に成る仏性をもっているので、それを覚って信仰することの大切さが説かれています。ものごとには必ず因があり、それが、縁にふれて現象が起こると「縁起の法」が説かれますが、これもまた方便であり究極の真理へ導く手段とされています。
 「法華経」の後半は寿量品が中心です。無限の時間、空間に本仏がおいでになり、一切の神、仏はこれの分身であり、一切の帰着するところも本仏にあることが教えられています。人種・民族・優劣・善悪など差があります。本来は平等無差別であり、無始以来久遠の本仏の愛子として生を受け、その仏種にめざめ生きて、また本仏の世界へ帰るのが人の一生と説かれています。我利我欲の妄想をすてて法華経の菩薩道を実践して、本仏中心の平等互恵の精進で生きると四苦八苦の苦しみから救われます。

 【妙法寺の本山】 法華宗真門流といい京都市上京区智恵光院五辻上ルの本隆寺です。京都布教の第一人者日像上人の教えを奉じ、日真大和尚が本隆寺を建てて、長享二年(一四八八)四月二十八日に独立されました。妙法寺には本宗で最も古い日真大和尚の曼荼羅が所蔵されていますし、霊応殿中央には日真大和尚の尊像がお祭りしてあります。

 


日真大和尚像 江戸時代

 


日真大和尚筆本尊 延徳2年(1490)

 

 

 

 

vol.110  2005.3.21

 

毎日のおつとめ
 Daily work 

 

 

 ご本尊・ご守護神・お位牌を祀るお仏壇の前に座った私たちは、まず「お灯明・ローソク」に火をともし、お線香に火を点じ、リンを打ち鳴らしてから合掌・礼拝し、おごそかに「勧請」します。「これから御法味を捧げます(読経・唱題します)から、どうぞお出でください」といった意味のご招待の言葉であり、むずかしくて覚えられないという人は「ご本尊さま、ご守護神さま、ご先祖さま、おつとめをいたしますから、どうぞお受けください」と言上してもよいわけです。

 「勧請」のつぎには「方便品第二」「寿量品第十六(自我偈)」と続くが、時間があれば「自我偈」は一回に限らず三回繰り返して読誦するのがよろしい。
 人によっては「お経のフシがわからないから読経しない」というが、読経は歌謡曲とは違うのですから、上手下手を競う必要はありません。お説教をお釈迦さまにかわって代読するのであり、要するに声に出して棒読みにすればよいのですから、字の読める人は、どなたでも読経し、お釈迦さまの代理をつとめるべきです。もちろん、大勢の人と一緒に読経する時には「そろえる」ために、伸ばす所、ちぢめて読む箇所がありますので、覚えるときにはそのフシも覚えこむことがあとあとのためには便利であるのはいうまでもありません。

 皆さまの多くは、「勧請文」と、終わりに述べる「祈願文・回向文」を省略されているようですが、他家を訪問するとき「こんにちは」と挨拶し、用件がすんでから「さようなら」と言って帰り、来客があれば「いらっしゃい」に始まって「お気をつけになってお帰りください」で終わるのと同じく、おつとめの場合にも「勧請」し、「読経・唱題」し、「祈願・回向」するようにしましょう。時間がなくて、おつとめできない人は、献灯・献香し、リンを打ってお題目を三回となえて拝礼するだけでもやむを得ません。時間のあるときは、お題目だけを二、三十分間となえるよりは、勧請・方便品・自我偈と形の整ったおつとめをした方がよいのです。

 最後の回向は、一番簡単には「ご本尊さま、ご守護神さま、どうぞお守りください。
ご先祖さまがた、どうぞ成仏してください。南無妙法蓮華経」でもよいわけです。

 

 

 

 

vol.112  2005.4.24

 

妙見さん
 Myouken san 

 

妙見大菩薩像 文政7年(1824) 妙見さん 妙法 Myouhou 丹波 立正山 妙法寺 竹内正道著作集
妙見大菩薩像 文政7年(1824)

 

 妙見菩薩は、北斗七星または北極星を神格化した神さまです。国土を守り、災を消し敵を退け人の幸せと寿命を増す菩薩で、星の中でも最もすぐれ神仙中の仙であり菩薩の大将なり」とされています。

 道教に「鎮宅霊符」というお札があり、これをまつると家が鎮まり繁栄するという信仰があります。この霊符に七十二体の神像が描かれていますが、その中央に「尊星王」がひときわ大きくかかれていますが、これが妙見です。

 妙見信仰は、この「鎮宅霊符神」の信仰と混じりながら、星の信仰から海上安全の神、貿易を営む大商人の信仰する商業の神、さらに「妙見」という名から眼病の神、さらには学問成就の神として民間に広く尊信されていきました。

 日蓮上人は「北斗七星・二十八宿・無量の諸星・・・・あらゆる一切衆生のもっている所の仏性を妙法蓮華経と名づける・・・・」といわれ信仰されました。
 中世には、豪族や武家の間で守護神、軍神として多く信仰され、日蓮上人に帰依された千葉氏も妙見菩薩を守護神としています。

 有名な「能勢の妙見さん」は日蓮宗真如寺の妙見堂のことです。能勢の領主であった能勢家は代々法華信仰と深い縁がありました。能勢頼次は本能寺の変で明智光秀に加担したため、豊臣秀吉に領地を奪われ岡山の妙勝寺に隠れていましたが、のち家康に仕え関ケ原の役で功をたてたため旧領をもとにもどしました。この頼次が日でりで困っている時祈願をして雨を降らせてくれた日乾に深く帰依して、一族をあげて法華信仰に入り能勢一円を法華に改宗させました。

 この能勢家の守護神が「鎮宅霊符神」で、日乾により法華経で勧請するように改められ、これから能勢の妙見信仰が広まります。

 

 妙見さんの坐像は能勢型といわれ、鎧を着て、剣を頭上にかかげ、左手で金剛印を結んだ形です。この剣はもと天に向かって持っておられたが、あまりに霊験があらたかすぎるので、受け太刀にされたといわれています。

 妙法寺の妙見さんは、文政七年(一八二四)に日皓が、能勢家より御霊像を受けて妙見堂を建立されましたが、岩本の岡才にあったものの移築ともいわれ、さらに昭和九年に能勢妙見堂と同一の北辰殿が建立され「丹波妙見さん」として信仰されています。

 

丹波 妙見堂 昭和9年(1935) 650遠忌事業に建立  2005.3.7 妙見さん 妙法 Myouhou 丹波 立正山 妙法寺 竹内正道著作集
丹波 妙見堂 昭和9年(1935) 650遠忌事業に建立  2005.3.7

 

 

 

 

vol.113  2005.4.30

 

鬼子母神さま
 Kishibojin sama 

 

 

 日蓮上人は法華経の行者を諸天善神は必ず守ると確信されています。その中でも陀羅尼品には特に菩薩の代表として、薬王・勇施の二菩薩(二聖)と諸尊天の代表毘沙門・持国の二天王(二天)と十羅刹女・鬼子母神がとかれているところから二聖・二天・鬼子母神・十羅刹女を守護神としてまつります。正月に配布しております妙法寺の門札はこれを表しています。

 日蓮上人の十羅刹女に対する帰敬は切実なものがあります。鬼子母神・十羅刹女は、法華経の行者・信者を守る。行者の信念を試すため障害を加えることがある。行者の身替わりとなり、迫害するものを罰する。行者が退転すればこれを許さず罰を加えると考えられていたようです。妙法寺でも御祈祷するときは、霊験あらたかな鬼子母神に祈り祈願するのです。

 

 

平成十年秋  妙法寺住職  竹内正道

 

 

 

 
 


 

 

    本隆寺

 京都市上京区紋屋町にある。法華宗真門流総本山。もと妙本寺(妙顕寺)に属した常不軽院日真は本迹勝劣を主張して大林坊日鎮らとともに同寺から独立、延徳元年(1489)四条大宮に本隆寺を創設、日真門流の拠点とした。京都二十一ヵ本山の一つ。

 天文法華の乱後移転を重ねたが、天正十二年(1584)豊臣秀吉の命により現在地に移転、後奈良天皇の外護をうける。寛永十年(1633)の末寺帳「本隆寺之帳」によれば五十ヵ寺を抱えている。天明八年(1788)京都の大火に諸寺とともに類火したが再建、現在に至った。

 〔参考文献〕  「本隆寺千代乃井」    拾遺都名所図会 一
         「諸宗末寺帳 下」    大日本近世史料
         「日蓮教団史 上」    立正大学日蓮教学研究所編
         「京都の歴史 三」(高木豊) 国史大辞典 吉川弘文館

 




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