法華経の美術 仏涅槃図 大仏師法眼 命尊筆  絹本着色 鎌倉時代 正中2年(1325)  妙法寺 兵庫県丹波市  Arts of the Lotus Sutra Death of the Buddha by Myoson  竹内正道著作集
仏涅槃図 命尊筆 絹本着色 鎌倉時代 正中2年(1325) 妙法寺蔵 兵庫県丹波市 撮影:東京国立博物館

  竹内正道著作集  
  法華経の美術  
仏涅槃図 命尊筆
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Arts of the Lotus Sutra
Death of the Buddha by Myoson
 
       
   
 
     
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平成17年3月7日撮影
 
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2003.1.15

 

法華経の美術
 Arts of the Lotus Sutra 

 

 

         
    仏涅槃図・命尊筆
Death of the Buddha by Myoson
   
         
     平成15年(2003)春、東京国立博物館と奈良国立博物館の特別展に、丹波・妙法寺秘蔵の仏涅槃図・命尊筆を出品、一般公開させて頂きました。
 その際の図録に掲載されました作品解説と涅槃図画像をご紹介いたします。
   
         

 
仏涅槃図・命尊筆 Death of the Buddha by Myoson 東京国立博物館 平成館
東京国立博物館 平成館

  

 ■ 特別展  立教開宗750年記念 大日蓮展
  2003年1月15日(水)~ 2003年2月23日(日)

TNM 東京国立博物館  平成館

Nichiren Art and Belief January 15 to February 23,2003
Tokyo National Museum

大日蓮展 パンフレット 大日蓮展 パンフレット
パンフレット

大日蓮展 図録 大日蓮展 図録
大日蓮展 図録

 

法華経の美術 仏涅槃図 命尊筆 一幅 兵庫・妙法寺(青垣)

絹本着色 縦109.2 横80.4 鎌倉時代 正中2年(1325)

Arts of the Lotus Sutra  Death of the Buddha by Myoson
Kamakura period,1325(Shochu2) Hanging scroll,colors on silk
109.2x80.4cm Myohoji in Aogaki,Hyogo

 

 釈迦の入滅を描く仏涅槃図は、諸宗派において陰暦2月15日の涅槃会の本尊とされる。日蓮も『祈祷鈔』で涅槃の光景を述べ、残された者が『法華経』弘経の誓いを新たにすべきことを説いている。

 裏書によると本図は、もと奈良・法華寺の比丘尼玄本の本尊として発願され、南都絵仏師命尊が描いて西大寺律僧がこれを開眼し、のちに隣接する海龍王寺の所有となっている。すなわち本図は、南都の真言律宗における釈迦信仰の伝統のなかで伝世したことが知られる。

 一方妙法寺は、天文22年(1553)に地頭の足立基則によって創建された。基則没後は桑山重晴が同寺を外護するが、重晴は天正13年(1585)まで、大和郡山城主であった豊臣秀長に仕えている。このことから本図は、重晴が南都で入手し、裏書に記される文禄3年(1594)までに妙法寺に寄進したものと推測されている。

 作者の命尊は、興福寺一乗院の松南院座の絵仏師。本図のほかには暦応3年(1340)の興福寺金堂の吉祥天像厨子の画事などが知られる。いずれも明快な作風と細密な描写をみせ、14世紀の典型的な南都絵仏師の作風を示している。

 

東京国立博物館 学芸部美術課

     
仏涅槃図 命尊筆 額絵
額絵
仏涅槃図 命尊筆 色紙
色紙
仏涅槃図 命尊筆 絵はがき

仏涅槃図 命尊筆 絵はがき
絵はがき


ミュージアム・ショップ

 

 

 

 

2003.4.15

 

鎌倉仏教と女性
 Kamakura Buddhism and women 

 

 

 ■ 春季特別展  女性と仏教 いのりとほほえみ
  2003年4月15日(火)~ 5月25日(日)

奈良国立博物館  東・西新館    主催:奈良国立博物館・産経新聞社

Women and Buddhism 15 April(Tue)-25 May(Sun),2003
Nara National Museum

 

 
パンフレット

 
女性と仏教展 図録

 

鎌倉仏教と女性  仏涅槃図  一幅  兵庫 妙法寺

絹本著色 縦123.6 横89.6(描表装とも) 鎌倉時代 正中2年(1325)

Women and Kamakura Buddhism  Nirvana of the Buddha(Butsu nehanzu)
Hanging scroll,colors on silk
Height 123.6,width 89.6(including painted mounting)
Kamakura period,dated 1325(Shochu2) 
Myoho-ji Temple,Hyogo Prefecture

 

 背面の貼紙に次のような、製作時期・開眼導師・絵師・願主を記す整った内容の墨書がある「正中二年乙巳三月廿三日開眼導師西大寺泉律師絵師命尊南京法華寺比丘尼玄本本尊也」。

 法華寺の玄本という尼僧は、永仁元年(1293)発願で、叡尊十三回忌の正安4年(1302)に完成した西大寺の「文殊五尊像」の中尊納入品のうち「大般若経」巻五百七十三の奥書に、「永仁三年三月十日 書写了 少比丘尼玄本」と名を記す人である。

 絵師命尊は、暦応3年(1340)に完成した興福寺の木造吉祥天像の台座裏墨書銘に、彩色担当者として「絵所大仏師法眼命尊」と記されるのと同一人とみなされ、鎌倉時代初期に活躍した尊智の直系と考えられる南都絵仏師である。本図の背面貼紙には他に、海龍王寺常住の銘と、文禄3年(1594)の妙法寺常住の銘もあり、伝来が辿られる。

 本図と関連の深い作品に藤田家旧蔵の「仏涅槃図」があり、その背面貼紙には、法華寺常住、元享3年(1323)作、願主は比丘尼行施、絵師は法橋命尊の旨が記されている。行施もまた、「文殊五尊像」納入「大般若経」巻五百四十七を永仁6年に書写しており、同じ環境にいた尼僧二人がそれぞれ涅槃図を、同じ絵師を用いて製作したわけである。

 両本の図様は基本的に共通し、おおむね涅槃図の一般的な形式にもならっているが、寝台の向かって右下隅部に配された、尼僧と認められる二人物が特徴となっており、願意に関わる要素かもしれない。なお行施本には、その方が法量が大きいこともあってか、上記の二尼僧の周辺に女性の姿が多く描かれているのが注意される。

 

奈良国立博物館 学芸課

  

 

 





 
 

2007.1.23

 

おんなと生きもの 十選
 Women and creatures Ten selection 

 

 

         
     平成19年(2007)、日本経済新聞1月23日付記事 、「おんなと生きもの 十選 ◇10」で、小説家・村田喜代子さまより、命尊筆『仏涅槃図』をご紹介頂きました。ここに、掲載記事全文を転載・ご紹介させて頂きます。    
         

 

 

おんなと生きもの 十選 ◇10

命尊「仏涅槃図」

 

仏涅槃図 命尊筆

 

 今回、十枚目の絵に選んだのは、鎌倉期の命尊の作、『仏涅槃図』だ。私の想う動物画の究極はこれである。

 

 絵の中央には巨大な仏身、釈迦が横たわって入滅の刻を待っている。そばにいる菩薩たちは祈り、弟子や在家の人々、動物たちは嘆き悲しんでいる。

 だが仏の死は永遠の生を証すことでもある。それでこの涅槃図は悲劇と共に荘厳・恍惚の絵でもある。夜更け、電灯のあかりの下にこの図録を置き、拡大鏡を当てて覗いていると、人はむろん、動物の表情の一つ一つがじつにいい

 

 絵の下方に控えた獅子や馬や牛や犬や兎豹や猪や猿や亀や孔雀や、その他大勢の鳥たち。中でも目を引くのが、地に仰向けにひっくり返って号泣している白象だ。

 レンズの光にさらされた象の泣き顔を見ていると、けものの慟哭の声が耳に流れ入るようだ。

 動物の姿のない冷え冷えとしたキリストの死と較べ、釈迦の死の場面は賑やかで暖かく、一抹のおかし味も漂う。

 

 さてこの絵で女はどこにいるか? 絵の上の方、空である。この巨きな人の子を産んだ女性、摩耶夫人が雲の上から見守っている。天と地に分かれ、女と生きものはこうして一枚の絵に描き込まれているのである。

 

     (一三二五年、絹本着色、一〇九.二×八〇.四センチ、兵庫・妙法寺蔵)

 

 小説家・村田喜代子

 

日本経済新聞 2007年(平成19年)1月23日【文化】

 

 

    1.ルソー  「眠れるジプシー女」    ニューヨーク近代美術館
    2.ブールデル  「横たわるレダ」    ブールデル美術館
    3.ギュスターヴ・ドレ  「赤ずきん」(ペロー童話集挿絵)
                         トロースドルフ絵本美術館
    4.奥山民枝  「犬になった日」    個人
    5.シャガール  「ヴァヴァのために」    個人
    6.クリムト  「金魚」    ゾロトゥルン美術館
    7.斎藤真一  「青い鳥」    個人
    8.パウラ・レゴ  「Snare」    ブリティッシュ・カウンシル
    9.鴨居羊子  「用心棒もしくはひも(A)」    個人
   10.命尊  「仏涅槃図」    兵庫・妙法寺

 

 

 

 

 


 
 

1998.10.6

 

大仏師法眼命尊の涅槃像
 Nirvana painting of the Great Buddhism artist Hougan Myouson 

 

 

 大仏師法眼命尊は大夫法眼快智の孫にあたる南都絵師である。この命尊について従来知られている史料は二点である。一つは、興福寺の吉祥天像台座裏墨書である。

 

  「興福寺金堂御本尊吉祥天女 御衣木加持并開眼供養導師
   招提寺第十代長老慶円 絵所大仏師法眼命尊 木所大仏師 寛慶
   奉行僧招提寺知事慶朝 暦応三年庚辰五月晦日 供養畢 同六月一日
   自招提寺奉入興福寺」

 

 本像は暦応三年(1240)に律僧によって造像され、興福寺に奉納されたもので、厨子に納められており、後壁には「七宝山図」、扉には「梵天・帝釈天像」が描かれている。おそらくこれらも命尊の手になるものではないかと思われる。

 もう一つはかつて『国華』四六八号に掲載された図で、藤田家に元亨三年(1323)に法橋命尊が描いた涅槃図があったが、現在は所在不明である。ところが、これとは別にもう一点、命尊筆の涅槃図が現存していることを知った。所蔵者は妙法寺という法華宗寺院である。裏面上巻に次のような墨書がある。

  「正中二年乙巳三月廿三日開眼導師西大寺泉律師 絵師命尊
   南京法華寺比丘尼玄本本尊也」

下部に「南都海龍王寺常住也」とあって、さらに別筆で、

  「文禄三年甲午仲春中旬四日自正中當二百六十六年丹州氷上郡左治庄
   妙法寺常住也」

 

とある。これによれば、本図は旧藤田本が描かれた翌々年の正中二年(1325)に、旧藤田本が法華寺の尼僧、行施の本尊として描かれたのと同じように、法華寺の玄本という尼僧の本尊として描かれたものである。釈迦の枕もとに尼僧が描かれているが、これは玄本自身の姿であろう。

 

 妙法寺自体は、天文二十二年(1553)に、当地の地頭、足立基則の創建になるが、明智方についた同人が天正十一年(1583)に自害したため、その後は、妻女の実家である桑山重晴によって外護された。重晴は大和郡山城主であった豊臣秀長に仕えている間に法華寺に隣接する海龍王寺よりこの図を入手し、文禄三年(1594)までに妙法寺に寄進したのであろうか。伝来の詮索はさておき、本図も律僧によって開眼供養がなされている点に注目しなくてはならない。

 

 西大寺に伝わる文殊五尊は叡尊の十三回忌を期して造像されたものであるが、本尊胎内納入品の大般若経巻五七三の奥書に、「永仁三年三月十日 書冩了 少比丘尼玄本」とある。同じく巻五四七には「永仁六年三月廿四日 書冩了 少比丘尼行施」と行施の名も見出される。

 永仁三年(1295)は涅槃図が描かれるおよそ二十年前である。叡尊を慕う尼僧達が自らの臨終に備えるためにともに涅槃図の制作を発願したのであろう。寸法も描表装を含めて、縦117.2cm、横76.7cmと小さい。

 

 命尊は妙法寺本の墨書では「絵師命尊」と記されているだけであるが、その前年には法橋位であった。したがって、静恵書状に見える「大夫法眼」は命尊ではあり得ない。

 妙法寺本涅槃図は、正中二年(1325)の制作になるものであるが、金泥を盛り上げる手法、色彩の鮮烈さ、あくの強い人物表現などは、年記がなければ南北朝から室町時代にかけての作品として扱われかねない特色を示している。その点は、吉祥天厨子後壁の「七宝山図」における、鼻を巻きつけた宝瓶から宝珠をまき散らす白象の、笑みを浮かべた生々しい表情に通じるところがある。

 一方、扉に描かれた梵天と帝釈天の方は毅然とした姿勢と、端然とした表情に描かれており、いくぶん雰囲気を異にしている。

 

文化庁文化財調査官  宮島新一 

 

 

 



 

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