vol.93 2006.12.24
遙かな灯台
Far-off lighthouse
418名の皆さま、こんにちは。本年最後のご挨拶を申し上げます。
今年は年初に掲げました詞、「瑞祥」どおり、春には貴重な人材を得、ゼフィランサスの事業の定義を公開、「幸せのプロフェッショナル」を創刊、読者の皆さまに再度情報発信できる機会を得ましたこと、誠に嬉しい限りでございます。初回の4本、お気に召して頂けましたでしょうか? 平素、会員の皆さまにお話申し上げている口語調で、レジュメ、幸せのプロ・マニュアルとして今後、整備&活用したいと考えております。
16歳の夏、希有な御縁を得、八島先生のお人柄に触れ、「この男、ただ者じゃない」と直感。その後、質問&お手紙を繰り返す中で、「伝承」の必要性を痛感、必死のノート採りが始まりました。その中から、1986年、僕が20歳の時に先生から頂いたお言葉を皆さまにご紹介したいと思います。当時、先生、御年72歳。
「『人生は芝居とか。ならばこの浮世・・・・』、この言葉、歌唱劇で使えますよ。丹波の子、歌唱劇の開幕の詞にしてよい文です。
その時、生きてくこと夢中。何をどうして、そんな筋道の通ったことしてきてない。その時分、そうですね、父親あてにならなかったんだし、安もんの背広、シナ服着て、元町歩いてた。お茶をならいに、美術、工芸、書画、骨董、台天目、花月、そんなこと。大徳寺、家元、お茶事になれていた。なにが男一匹、茶坊主では。やっといて悪くはなかったです。どんな席でも、鉢、ちょっとみて、床置き見ても、やっといてよかった。作法、歌、俳句、和歌、変体仮名も書けなくちゃいけない。
夜、寝るまえの一時間、変体仮名。分かりますよね。おく、お茶、なんにもでないんです。文机、硯石、色紙、巻き紙、床置き、軸もん。歌をよむ、墨をすって自分の歌。お茶もだいぶ奥に入ると、こういうことやるんです。お茶、色んなこと身につけて、故事、歴史知らないと、歌ひとつ書けないし、二十歳ぐらい。今の青年部でやってる人ちょっと居ないんじゃないかな。日本画、絹本、美人画も描いていました。油絵も。
ここのような場が与えられたとして、今、自分としてやれる事をやっていきます。何でもいい、おまえにやらしてやろうと言われること、何でもいい、あるもの生かしていく。どの方面つかえるか、みんなの中、大勢の中入っていって、きり開いていく。なんかやろうと思う。みんなに認めてもらいなさい。Nさん、居眠りしてても、一生懸命やると3倍。商売人、日本一の商売人になる。Oさん、とうとう紅白、この前6万票すべてここ。歌うまいのは当然だし、それだけの事ができる。そういうとこで認めて頂くことで、お医者、見てごらんなさい。会員、みんな結構になってゆく。その人自身、結構になれば同質が結集。これは物理です。笑ってたって、やる事みんなうまくいく。
どうぞ、そんなことで。会社、楽しいですかって聞いた。僕そういうこと嫌いなんです。飴でもしゃぶって、自転車、歌唱劇、歌、よっぽど好きなんです。難しい書類、数字好みません。皆さまからあめダマ、白、赤、ピンク、こんな楽しい、これが僕の仕事。人が結構にゆく。今あなたそれできますか? でしょう。今できたんじゃない。できるために何年かんねんやってきた。先行の灯台。これに向けて。これが僕の仕事。人の幸せのため、自分が病気があってはならない。自分が楽しくなかったら人を楽しくできない。
遙かな灯台置くんです。今朝も自転車はしる。ペン習字、うまくならない。なんて書いてるかっていったら、いくらやっても上達しないって書くんです。やりだしたら、三日坊主では。目標ははるか向こう。十年、ようしもう十年、そして死ぬまで。やらなかったら。人はそれぞれいい点もってる。その人追いつこうとしてもできない。それをもって太刀打ちするんじゃない。あらゆるものもって、これでもか、これでもか、これでもかでいくんですよ。劣っていれば人の倍。駄目なら五倍。追いつき、勝手に追い越していく。こういう生き方でないとダメですよ。いいですか。」
十七 1986.12.22
一昨日で20年。人の世の移り変わりの空しさが、むやみに胸に滲みて参ります。20年でこれまで。どこまでやれるか、さらに工夫。もの事は人間がやる。こうやって毎日毎日同じことやりながら変化が生じてくる。いずれ、無かったものが生じてくる。
どうぞ、皆さまの2007年が実り多き、収穫&飛翔の年でありますように!♪
平成18年12月24日
ゼフィランサス 竹内 康正
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