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揚羽蝶 兵庫県丹波市青垣町 妙法寺中庭

  明日に希望を託して
Entrust your children with hope tomorrow
 

21世紀をどのように生きていくか、教育の世界、とくに私学にとっては重要な課題です。
礼節のある、逆境にもくじけない忍耐力のある生き方の指導がもっと大切ではないか、
そんな立場で生徒に語りかけ、学校通信に書いていましたものをまとめました。

                                        平成12年10月6日

                       竹内 正道

明日に希望を託して
忘れられた「心の糧」   悩みの解決はできるか  人間性の回復

 

 

 

 

          VOL.128  2007.5.31
初出: 「明治百年と仏教思想 京都府私学研究論集 1970

 

皐月

 

        忘れられた「心の糧」


 宇宙空間へ進出開始、情報革命の進行、人口爆発、化石燃料の限界、地球環境問題等そのどれをとっても、かつてわれわれが経験したことのない時代に生きている。豊かな生活をするようになったが、満足感の少ない社会で「心の問題」がとりあげられている。かつての日本人は貧しくても心豊かに生きており、伝統的なものを「心の糧」として日常の生活を営んでいた。敗戦とともにそうしたものを喪失した現代人は国際化の進行で苦悩多く、オウム教に走った若者を笑えない状況である。

 西欧ではギリシャ思想とキリスト教が入りくみながらルネッサンスとなり、大陸合理論、イギリス経験論へと展開し、カント哲学がその両者を統合し、そこから発展して実存主義とか、マルクス主義が生まれた。西欧ではつねに思想は発展してきたので、古代ギリシャ思想も現代とつながっていて、思想を論ずる時、ソクラテス・プラトン・アリストテレスが話題となる。

 ところが日本では最澄とか、道元とかの偉大な思想家がいても、それは過去の思想家でわれわれとは無関係である。カントの思想ならわれわれも知っているが、カントと同時代人の本居宣長の思想などまったくわれわれは無視してしまっている。

 このように日本では、かつての時代の代表的な思想すらがわれわれと断絶してしまって、現代人にとっては西欧古代の思想を知ることよりも、日本の伝統的思想を研究することの方が困難になっている。仏教が日本文化にとって大きな役割をはたしていることは誰でも知っていることであるが、さてその思想となると現代人はまったく無視して忘却したのか、とにかくその思想は断絶してしまっている。

 この状況にわれわれは生活しているので、梅原猛が「地獄の思想」で主張するように、「源氏物語」を読んでも仏教を理解しない読者には紫式部の真価を理解することができなくなってしまったのである。伝統思想、自国の文化すら理解できなくなった日本の文化のあり方ほど不思議な文化はなかろうと思うが、それは江戸時代の朱子学者の廃仏思想、国学の復古主義に原因があると考えられるが、さらにそれは明治百年間の欧化万能主義で完成させられ、われわれは伝統思想をもたない民族にしたてられたのである。

                                   

          VOL.129  2007.6.28

 日本に仏教が渡来したのは継体天皇の十六年(五二二)二月のことで、中国の梁から来た司馬達等が、大和の高市郡田原に草庵を建て、仏像を礼拝したのが最初で、それまで古墳づくりに熱中していた日本に、まったく新しい文化が帰化人によってもたらされたことによる。正式に朝廷へ伝わるのは、「日本書紀」によると欽明天皇七年(五三八)で、百済の聖明王から仏教、経巻が献上されたことからであるが、「法華経」などの経巻はややおくれて敏達天皇六年(五七七)に渡来したことが「扶桑略記」に記録されている。

 いずれにしても、約千四百年以前に仏教が伝来されたわけであるが、当時の記録によると、欽明天皇は仏教を崇拝したものかどうかを群臣に問うている。蘇我稲目は西蕃諸国が仏教を奉じているので日本でも礼拝すべきだと主張するし、物部尾興は日本古来の天地百八十神が蕃神を崇拝すると怒をもつと主張して新文化受容に関し、両論があったことを記している。

 かくして欽明天皇は崇仏を主張する蘇我稲目に仏像をあたえ、試みに礼拝してたたりがないかをみるように命じる。稲目は小墾田の家に仏像を安置し、そのあと向原の家を寺として礼拝する。ところがその後、国内に疫病が流行し死者がでると物部尾興、中臣鎌子等が仏教礼拝の罰であると天皇に献言、朝廷は仏像を難波の堀江に流し、寺は焼きはらう。百済の聖明王献上の仏像はわずか数年で廃仏された。これが最初の廃仏であろうが、それは欽明天皇十五年に、また百済僧曇恵等九人が来朝しているのを公認しているので、積極的なものではなかった。

 次の敏達天皇も仏教信仰者とは認められないが、百済から大別王等が造仏寺工を連れて来朝したのを黙認している。ところが次の用明天皇は仏教の信奉者であった。日本における仏教受容の功労者は、用明・聖徳の二人であろうが、この蘇我氏出身の用明天皇でさえ、朝廷での三宝帰依を主張すると物部守屋・中臣勝海らが猛反対し許さなかったので、蘇我馬子とともに、ひそかに豊国法師を内裏に引き入れて崇仏を実行している。

 このような事情で、朝廷に於ける仏教信仰公認の問題は物部氏が滅亡する迄混乱を続ける。その間、仏教護持をしていた蘇我氏によって仏寺や仏像が帰化人の指導のもとに創建され、次の推古天皇時代で仏教受容体制が確立したのである。

 

          VOL.130  2007.10.15

 聖徳太子は朝鮮の高僧慧慈、慧聡について仏教を学んだということであるので、かなり仏教に精通し、信仰していた。それは十七条憲法の第二条、篤敬三宝にもみられ、三宝を敬うことで一切の狂ったものを直す究極規範としたこと、仏教興隆を国の基本方針とし、隋まで使者を送り、三宝輸入に努めたこと等で知ることができる。
 しかし、穴穂部皇子をたてようとする物部氏と対抗して崇峻天皇を擁立し内乱が起った時、うち続く苦戦を四天王に祈願して乱を平らげようと考えている点から、宗教的、あるいは思想的反省よりも現世的願望をとげる呪物的信仰もみえている。しかし、摂政三十年間に日本を仏教国として前代とは比較できぬほどの文化国家に成長させた。

 更に仏教は聖武天皇の時代に隆昌し、国分寺・国分尼寺が建立され、壱岐・対馬・大隈等の端々まで仏教を広めたので、仏教は日本民族の宗教となり、政治的イデオロギーともなった。かくして仏教は日本の中心思想として日本民族の精神的支柱で、平安時代は無論、鎌倉・室町等の文化は仏教ぬきで理解することはできず、それ以後も多少の変動があったとしても、明治維新までの千数百年間続いてきたのである。
 仏教は伝来した時、物部と蘇我の対立があったが、われわれが知るように、日本の民族的信仰であった神道や儒教等とも融和し、本地垂迹説とか、神仏習合説を形成し日本風土にとけ込んでいった。

 あるいは不可抗な権力や時代の風潮に対しては受動的に自分自身を形成して、その主体性だけは貫いてきた。時代の厳しい変動のなかに鎌倉の仏教者たちは民衆に生きる目的を与えたし、戦国期には一円法華、あるいは一向一揆としてすら対応してきたのである。

 ところが、かつて神仏混淆の形で神社祭祀の中に深く入りこんでいた仏教が、明治維新に於いて神仏分離となり、神社から切断されるのみか、あらゆる公的領域からことごとく追放され、すてられたのである。この処置が以後の日本民族をいかに不幸に落すものであるかはかり知れない。それのみか「王政復古」をかかげた維新政府の急進派は、廃仏毀釈という追討ちをかけ、仏教寺院のみならず、仏教思想をも追放してしまったのである。

 明治維新における廃仏毀釈の運動は、六世紀以来日本人の心の糧となってきた仏教思想をも追放するという蛮行を行なったが、これは仏教伝来以来、日本社会ではかつてなかったことである。なるほど行基や、専修念仏や、日蓮や、一向宗や、不受不施派など一宗一派で公権力から迫害を受けた例はいくらでもあるが、それはむしろ仏教の中の新旧の対立が原因で起ったもので、全仏教を根底から廃棄するものではなかった。
 それでは何故に欧米先進資本主義文明を積極的に取り入れて近代的国家を建設しようとした明治維新に於いて、自由化の風潮の中で伝統思想の追放が横行したのであろうか。

 明治維新の変革自体が明確な近代化を目標とした民主主義改革でなかったが、強烈な変革意欲にささえられた尊王攘夷論をイデオロギーとする西南雄藩出身の下級武士に指導され、古代国家の君主であった天皇の権力を復活するという「王政復古」の形をとって実現された革命であったことにその理由が存在する。なるほど維新期に於いて、一方では封建的秩序を消滅さす変革が実施されはしたが、他方では古代国家の典例を復活するという時代錯誤がなされた。

 「王政復古」に理論的根拠を提供した復古神道を奉ずる平田篤胤派のイデオロギーが維新の変革に参加していたことが廃仏論の原因である。

 

VOL.132  2008.3.20

 江戸時代を通じて、従来みられなかった廃仏思想が流行しているが、それは朱子学者を中心としたもので、儒教の倫理主義的立場からの批判である。近世朱子学の祖とされている藤原惺窩が「惺窩先生行状」で「釈氏は仁種、義理を絶滅する」から異端であるとし、その門人の林羅山は「論三人」で、仏教は「君臣、父子を棄てて道を求める」ものと否定するし、室鳩巣は仏教は五倫五常を離れ、人事物理を具せず、ただ空しく霊覚の心を求めるものと批判している。これは君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友の信等を人間究極の生活規範とする考え方で、階層的封建身分秩序を合理化する理念から、仏教の来世主義、彼岸主義を批判しているにすぎないものである。

 ところが儒学者のなかに、政治的、経済的立場から仏教批判を行うものが幕末期に出て、中井竹山とか、藤田東湖、会沢正志斉などによると、僧侶は四民以外の遊民であるとか、伽藍仏教は国費、民費の浪費であるとかの理由で僧尼取締論とか、廃寺合寺論とか具体的な主張がなされ、廃仏による経費の節約、民費の消費防止で富国強兵策をたてるべきだというような実際論まである。これらは仏教思想の本質にはまったく無理解で、現実主義、合理主義、富国強兵的近代主義からの批判、あるいは主張である。

 こうした思想風土の中で成長したのが国学の廃仏主義で、国学の祖本居宣長は、儒教、仏教は外来思想であって日本古来の思想ではないと神道を重視する。神道とは古代の神崇拝の宗教的儀式を体系化したものであるが、本居宣長は真に日本的文化は仏教渡来以前にあり、それ以後の日本文化は外来思想で不純なものだという一種の復古主義の主張をする。なるほど近世ヨーロッパにも復古主義の流行をみたが、それは中世を否定したヨーロッパには古代ギリシャ、ローマの文明が輝いていたから文芸復興が成立したものの、本居宣長が否定した仏教文化伝来以後の歴史を取りさると、日本の歴史は縄文・弥生あるいは古墳文化となり、まさにそれは未開社会への復古である。まさか本居宣長は「原始に帰れ」といったわけではあるまいが、愛国の名のもとに国学者は文化的蛮行をやり、儒教・仏教をぬいた日本文化を展開しようとし大和心を高く評価する。

 仏教ぬきに日本文化をみると、日本には何と風流な建造物の多いことか、能なども仏教ぬきで理解しようとするとテンポの遅い風流な遊び以外の評価は得られないわけである。こうした仏教思想無理解の風潮は国学派による明治維新の教育・文化政策への献策とともに政治の慣習となり、加うるに文明開化以来の欧化主義が不幸なことに、仏教思想にだけは今日まで影響してきたのである。

 かくして日本の知識層は仏教はまるで無理解となり、空とか無という言葉の論議のみとなり、文学では仏教は無常感のみを強調することになり、教育の場ではこの思想を扱いかね、尊重すべきわれわれの唯一の伝統思想は次代に伝達されもせず、忘却されてしまったのである。

 

 

 

 

VOL.133  2008.5.30

 

        悩みの解決はできるか

 

 仏教渡来以前の日本には、今日もなお伝承されているような独特な民族的呪物崇拝があったが、そうした治病・延命・息災・降雨などの現実的願望を、民族的呪物のかわりに仏教的呪物として受容されたことに、仏教思想を誤解される理由が存在する。

 日本最初の仏教思想研究者であった聖徳太子ですらが四天王像に「今若し我をして敵に勝たしめば、必ず当に護世四天王奉為に、寺塔を起し立てむ」と祈願し懺悔滅罪とか追善増善という宗教的願望より現世利益的崇拝であった。このことは天平文化の頃になると更にその傾向が強まる感がある。

 仏教興隆に全情熱を傾けた聖武天皇国分寺を創建、奈良にはのべ260万人を動員して17.82メートルの大仏を建立、唐から鑑真が来朝すると光明皇后と共に受戒するなど、まさに「三宝の奴」であるが、諸国に七重塔を造って「最勝王経」「法華経」等を奉納することを命じていても、その思想内容よりは「法華経」の功徳で、病気平癒・災害消除・国家安寧・鎮護国家を祈るものであった。

 天平時代において得度者の資格として「法華経」の暗誦が義務づけられていたが、それは「法華経」の本質が理解され、法華思想が評価されたのではなく、民衆にまで流布した「聖なる経典」の権威に利用価値があったわけであり、その暗誦が義務づけられた僧尼もまた、世俗の一般大衆とはちがって「聖なる人」として、課役・刑罰・賦役は免除されたが、治部省 玄蕃寮で資格審査され、朝廷の命令で受戒し、小乗的戒律を強制される朝廷の法要儀式執行人にすぎなかったわけである。だから彼等が「法華経」を暗誦するまで読んだとしても、現世利益が中心で無批判的盲目的で法華思想の反省はされていない。

 また国分寺が諸国に建立されたのも、国司の管理下に寺院・仏像を造立して地方政治機関の権威づけに役だったのである。律令政府が仏教を権力補強に利用したために、真の仏教者は道融のように隠遁するか、仏教教学研究を始めるほかはなかったのである。行基のような社会事業家は僧尼統制の違反者であった。

 このような状態で朝廷に於ける仏教理解が現世利益・病気平癒・災害消除・国土厳浄・人民康楽等であったから、庶民の仏教理解は更に現世的である。「日本霊異記」にそうした話は多いが、「南無、銅銭一万貫、白米一万石、美女大勢施し給え」と観音に願をかけて現世に利益を得たとか、写経中にみだらな心をおこし「嬢の背に踞りおり、裳を挙げて婚ふ」たところ悪死を得たとかの類で極めて呪物的信仰である。

 もちろん治病・増益・天下泰平等の世間的課題のみではなく、追善増善・精神浄福・三宝興隆・浄土往生等の宗教的課題も仏教信仰の対象であったが、そして浄土教の発展、鎌倉仏教等で後者の傾向は増加するが、今日迄依然として前者的課題が日本仏教の対象となっているのである。最近の仏教系新興宗教の流行が何よりそれを強く内包しているが、仏教思想が今日誤解される理由は、仏教がこのように現世的課題解決の方法として祈念・帰依の法力を主張して来たことにある。

 日本古来の民族的呪物崇拝にかわって、仏教的呪物が進出したのは何故であろうか。仏像・経巻・剃髪染衣の僧が呪力をもつものとして上は天皇より下は庶民に至るまで、すべての人間的課題を解決する手段として崇拝されるに至ったのであるが、この仏教の呪物化傾向は三宝を呪力化し、課題も呪力的課題として今日迄仏教と結合してしまった。そのことが近代的理性、あるいは合理性と矛盾し、現代人と仏教を断絶さす理由となる。

 しかし、仏像を風変りな彫刻としか理解できない現代人は、それを呪力をもつとして崇拝した古代人を笑うことができない。経典をハンサな形而上学としてしか理解できないものにとって、古代の持経者たちの現世信仰を批判することはできないであろう。つまり仏、法、僧という対象的な仏像・経巻・僧侶の三宝ではなく、それによって象徴されている、その根底にあるもの、すなわち「真諦三宝」こそが真実の仏教であることに気付かねばならない。これはまことに主体的で根本的で超理性的なものであるため、理解しにくく一般人にとって三宝といえば、仏像であり、経巻であり、法衣の僧であったわけである。

 しかしそれが仏教として成立するためには、単なる芸術でも、形而上学でも、人格的なものでもなく、それらを超越した独自の価値を根底に有するものであったはずである。聖徳太子の篤敬三宝というのは、仏、法、僧を単に敬うことであっても、呪物的三宝、観光的三宝ではなくて、それによって象徴される根本的なものへの篤敬であったはずである。そしてそれは「真諦三宝」であり、「自性三宝」といわれるものである。

 ところが現代人は仏教をこの真諦三宝として理解せず、観光的三宝とでもいうべきもので仏教を考えている。しかし、その仏教はすでに「真諦三宝」を知ることのなかった朱子学者や、国学者によって廃仏されたものである。国学者の批判や明治以降の欧化主義のなかでなお今日迄仏教が伝えられ、評価されているのは、「真諦三宝」の価値によるもので、それは人間性自身の宿命からの脱却を課題としたものであるから、人間が理性的になればなる程真価を発揮する思想をもつからにほかならない。

 

VOL.134  2008.11.18

 仏教思想はかくして古代以来呪物的色調をもちながらも、その根底に「真諦三宝」を保持して今日まで発展してきたが、現代に於ける呪物信仰的新興宗教と観光仏教が、その思想を無視しているので、明治百年間の精神的風潮がそれに加わって仏教思想断絶の状況を現出してしまったが、仏教思想の本質から見れば、人間存在の本質を課題とした思想であるので、いかなる時代になろうとも仏教的課題を無視することは許されず、これを無視したものを根底とする思想は人類史を発展させはしないであろう。

 仏教的課題というのは、「生死の一大事」と表現されるものであるが、それは人間である以上、誰しも考えねばならない人間にとってもっとも普遍性をもつ課題である。現代の精神的風潮が仏教と断絶していようといまいと、仏教のもつ根本課題というものは人間が生存する限り、主体的にとりくまねばならない人間共通の重大課題であり、それをさけて通ることは人間としてゆるされないものである。

 ところで、悩みをもたぬ人間はなかろうが、自己の人生、自己をとりまく社会等を反省すれば必ず解決しなければならぬ課題と対決せねばならず、それが悩みの原因となる。課題をもたぬ人間、悩みをもたぬ人間はもはや成長することも、思考することもありえぬ人間である。

 人間のもつ悩みには現実的歴史的な悩みと、超現実的超歴史的な悩みがある。そして現実的な悩みには個人的なものと社会的なものとがあるが、世界は一体化しつつあり、交通・通信の発達で社会的課題の解決すべき問題は増加の一途をたどり、社会は複雑になっているので、悩みは増加するばかりである。

 近代の思想は社会的課題を解決することによって個人的課題を消滅させようとするマルクス主義と、個人的課題の追求のなかで社会的課題をも解決しようとした実存主義があるが、その両者とも真に人間の救済を実現することが困難であった。しかし、この現実的歴史的課題解決には自然科学をはじめとする諸科学が動員され、近代的理性がその解決の主役をつとめることはいう迄もない。けれども近代の機械文明が真に人間の悩みを解決するどころか、まったく新しい悩みを現出し、悩み解決の方法が、また新しい悩みの原因となるように、それのみの解決は困難なようである。

 人間のもつ、もう一方の悩みとは、超現実的超歴史的悩みであることを先程のべたが、この悩みの解決は現実的方法、つまり科学的手段で解決することはできない。それは人間の宿命といわれるもので、実存主義者が好んで課題とするものである。人間の宿命には、人間の存在面から来る悩みと、人間の価値面からくる宿命とがある。

 人間の存在というものは限られた時間、空間の中で生存するという制約をもっている。平易にいえば、何時か死ぬということで哲学的にいえば、生死の二律背反を脱することが不可能な存在であるということだ。ところが人間の悩みは死ぬことにあるのではなく、生死の二律背反に悩むのである。生も死も、有も無も共に悩みであり宿命である。

 仏教ではこの悩みを生老病死とか、無常とかで表現している。ところが人間は生死の二律背反に悩むだけではなく、価値面の制約にも悩むのである。価値と反価値の二律背反であるが、これは罪といわれるものである。人間の内面というものはまことに複雑で、真も妄も、美も醜も、善も悪もともに罪であることに気付くのであるが、罪を悩むのではなく、価値、反価値の二律背反に悩むのである。

 仏教が古来苦とか、穢とか、虚妄とかで指摘してきたのはこの二律背反である。しかもこの悩みが主体的なものであるから、二つの二律背反は別個のものではなく、不可分のものとして人間にせまり、人間の宿命を形成する。人間にとってもっとも深い自覚とは、この人間自身の宿命を自覚する。つまり二律背反という不合理が自己の本質であることに理性が気付くことであると仏教は教えている。

 近世における理性的人間の自覚も仏教ほど深く人間性に対する徹底した反省はしておらず、実存的人間観も、人間が絶望的であることを示しただけで、この二律背反にニヒリズムの根本原因があることに気付いていない。さらに仏教では、この超歴史的超現実的二律背反的存在としての人間の本質から当然ながら歴史的現実的課題の解決にもそれが深く関与することを教える。

 つまり歴史的課題と超歴史的課題は別個に、無関係には存在しないので、歴史的現実的課題解決の方法としては、なる程近代科学の成果が大きく役割するであろうが、それが人間を対象とする限り、人類社会の繁栄をめざすものである時、人間の本質面、超歴史性、超現実性を無視することは許されない。仏教の課題は、人間の絶対的な二律背反に取りくみ、人間の現実的歴史的な悩みをも根底からささえようとするものである。

 仏教でいう篤敬三宝は、かつて崇拝されて来た対象物の三宝ではなく、真諦三宝でなければならないし、それこそ理性の宿命であった二律背反の脱却をめざすものである。中世的他律的人間、キリスト教的世界から脱却した人間が、自律的理性に覚め近世的理性的人間を宣言したが、人間の二律背反に直面しニヒリズムにおちいった現代人にとって、人間を根本的に救うものは自性三宝の自覚以外にない。「理性の二律背反を脱して理性に生き、歴史を超えて歴史に生きる」ことを仏教はしめしている。

 

 

 

 

VOL.136  大暑 土潤溽暑  2009.7.31

 

        人間性の回復

 

 仏教が人間存在の本質、その存在面と価値面での二律背反性を課題としている思想であることは前章で指摘したのであるが、それでは、仏教思想はそうした人間の悩みをいかに解決しようとするのか、人間の歴史的現実的のみならず、超歴史的超現実的課題をもすべて根底から解決し、人間を救済する方法とはいったいどのようなものか。

 

 かつてヘーゲルは、世界は自由意識の実現という方向に発展しており、その発展の頂上にヨーロッパがある。古代社会では一人が自由であり、ギリシャ・ローマ社会では数人が自由であり、近代社会では万人が自由である。この自由社会こそヨーロッパ市民社会であると宣言し、古代的段階をさまよう社会の古い思想、仏教に対しても軽蔑の眼しか向けていない。

 マルクスもまた、原始共産制社会、奴隷制社会、封建制社会、資本主義社会、社会主義社会と歴史は発展し、社会主義社会はもっとも進んだ発展段階にあるヨーロッパ資本主義社会に実現すると考え、ヘーゲルと共にヨーロッパこそ発展の頂点にあり、ヨーロッパの文化は過去の人類文化のすべての精華を集めたものであり、西欧思想はまさに人類の叡知のすべてを含むと考えていたようで、ヨーロッパの世界支配と照応する思想であった。

 

 明治百年間われわれもまたその思想の感化をうけ、明治初期の和魂洋才はどこへ行ったか、日本の知識層は日本の伝統思想を軽蔑してきた。まさに西欧の知的奴隷となり、外来思想と伝統思想の対決もせぬまま現代に至ったのである。

 ところが先生であるべき西欧の思想家が最近になって「ゆきづまり」を感じるようになり、これはまたヨーロッパの世界支配終止の歴史と照応するが、東洋の異質な思想を発見すると、今度は伝統思想の価値を外国の識者に評価してもらい、そんなに価値ある思想があったかと驚いている様な精神状況が日本にある。

 聖徳太子以来の仏教国でありながら、西欧の、特にキリスト教文化圏の学者の仏教研究がわれわれの仏教理解に最も早道だということは、伝統思想もまた再移植しなければならないということである。その状況下に仏教を論じることはあるいはまた新しい誤解を生む原因となるかも知れないが、あえて仏教のめざしているものが何であるかを報告したい。

 

 仏教の出発点は釈迦における苦悩の反省である。釈迦は「生も苦なり、老も苦なり、病も苦なり、愛せざるものと会うことも苦なり、愛せるものと別離することも苦なり、すべて欲するものを得ざることも苦なり」といっている。

 人間は真実なる生を欲しているが、実際問題としては禍に直面し、幸福なることは少なく、志とちがって四苦八苦する人生となる。それは苦の結果することを嫌いながらも、その原因である煩悩をのぞかず、かえってそれに愛着して生きているためで、人間はまさに顚倒妄想しているからだという。

 苦・集・滅・道の四諦の説はこの苦楽の縁起を明らかにしている。人間生活のあらゆるできごとが苦であり、苦があつまる原因が集であり、苦を滅した解脱が滅であり、苦の滅を達成するための実践方法が道であるという。

 たとえば、生・老・病・死それ自体が苦ときまっているわけではないが、心が貪欲瞋恚愚痴三毒でおおわれると生が生苦となり、病が病苦となる。憎まねばならぬとか怨まねばならぬとかいうことがきまっているわけではないが、怒りの心に引きまわされて社会生活をすれば、その生活は怨憎会苦の修羅の生活となり、諸行無常会者定離は、自然法であるが愛着の煩悩から愛別離苦となる。貪る心でいれば、恵まれていても求不得苦の世界となる。この世はもともと苦の世界と決定しているわけではないが迷うと苦の世界となり地獄となる。このように苦を生む原因が集である。

                                                 (次回へ続く)






 



 
 

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