自然   人体   幸せ   知識   経営   八島ノート   竹内正道著作集   サポート
 
 
 
竹内康正日記 八島義郎の言葉 昭和57年(1982年)9月22日 両親に感謝していますか  八島ノート 昭和57年 Yashima Notes 1982  竹内 康正 Yasumasa Takeuchi

竹内康正日記 八島義郎の言葉 両親に感謝していますか 昭和57年(1982年)9月22日

  八島ノート  
八島ノート 昭和57年
     

 
昭和57年
1982
竹内康正日記 八島義郎の言葉 昭和57年(1982年)9月22日 両親に感謝していますか  八島ノート 昭和57年 Yashima Notes 1982  竹内 康正 Yasumasa Takeuchi
 
 
秋季
1982
八島義郎 作・演出 歌唱劇「撫子」「猫柳」台本  昭和57年(1982年)春季・夏季・秋季歌唱劇パンフレット 山本幹雄「現代のカリスマ」  岡本好司「「こころ」と「からだ」」  宮武孝明「八島義郎先生説話抄」  八島ノート 昭和57年 竹内康正 筆録 八島義郎の言葉  Yashima Notes 1982 The Words of Yoshiro Yashima written by Yasumasa Takeuchi
 
 
 

   

     
  1982年  9月 10月

9.8 10 22 24 26 28 30
10.2 4 6 8 10 12 15 16 18 20 22 24

会場でのお言葉  親子・学生  先生ご自身のこと  人間・人生 夫婦 女性・結婚 男性・仕事
家庭 宗教 民族・社会 友達  金銭・商売  自然 小言 脳波  趣味  保健・医療  学問・教養
 
 

  

 
 

1982.8.24

説明会: 神戸・御影山手  入会: 神戸・住吉山手 I邸

 

8.29

大阪・十三 初

 

9.1

八島義郎 68歳 竹内康正 16歳 初対面

 

 

9.8

当時の日記から
八島義郎先生説話抄」 宮武孝明編注 より抜粋

 

    会場でのお言葉

 

 自然のものは、すべてバランスをとっている。

 体質や性質が現在あるように、周囲も又、その様になってくる。最低の体質なら、環境もドン底。

 波風の少ない様にと無地、にぎやかに楽しくは総柄

 今の現像は自分が蒔いた種が原因だから、人に苦情をいってはいけない。いがみ合うのは、あわれである。

 人の和ほど大切なものはない。

 より幸せになるには生まれ変わらねばならぬ。これは決して生易しくない。常に努力しなければならない。

 感情から事情や体質を変えることは、不可能から可能を生み出す様なものです。

 同質は結集する。いい感情をもっていれば、いい感情のものが集まってくる。

 祖先、子孫、親類のどこにも、同じ性質が出現する。これが自然の流れである。

 生まれたままの感情でゆくなら、普通の人と同じことである。

 人体に感ずるわずかな変化や感覚異常は、すべて自然現象で、それぞれ意味がある。

 人は同質の結集の一部に、生まれたままの、当然の位地に位する。

 先祖からの悪い遺伝をとり去るには、会場を忘れないことです。

 結構になれば、はなやかになり、みじめになれば、ジジむさくなる。結構な人を見習いましょう。

 個人が結構になれば、教育も政治も不必要になるでしょう。

 

 

9.10

 

 一人では何もできないが、大勢だと、共に手をとり合って、幸せの道を進むことができます。

 は体温をもつ肉体があってこそ、そこに存在するのは本当です。

 活躍する人の顔は張りがあり、輝いている。これは生理的であり、自然現象です。

 「泣き面に蜂」のように、一つ悪くなれば次々と悪くなる。その反対の場合もある。これらは全部感情の持ち方一つにかかっている。

 体質が変わると、すべてのもののプラス、マイナスが体の感覚で分かるようになる。

 将来泣かない様に、今、努力して置きなさい。すべては、為した結果です。

 あまり理屈、理論に走らないように。それよりも、実行して、和をつくって、幸せになるのがいいのです。

 不思議とか、奇蹟等は一切認めません。すべては生まれたままの運命を持ち、自然の方法で表現されたものですから。

 私達の生涯は生まれた時から、いやいや、御先祖様から既に印刷済みである。

 吾人はそのプラス、マイナスを合わせた脚本通りに俳優となっているのです。

 生まれながら、結構な人がいる。その人を見ると、自然の条件を備えている。

 遺伝的、身体現象が発現せずに、そのまま通り過ぎてゆくのは、浄滅があるからです。

 死者の魂は子孫の肉体に存在して、隔世遺伝する。即ち、自分には先祖が宿っている。

 不幸な面だけを見ていれば、それだけで負け犬になる。これからは、そんなことは見ないようにしよう。苦労は買ってでもしろ、とは愚者の言葉です。その間に伸びる事です。

 やろうと思えばできることをしないで、将来に望みとして持つことも幸せの一つである。

 精神と肉体は同一の体に存在するので、肉体が亡んだ時には、精神は最も近い人に結集する。魂が結集する時に、人により発熱する事がある。

 感情をよくして、遺伝的感情をそのまま出さないようにしましょう。感情、事情、身情は一致する。

 感謝のないところに幸せはない。生きている限り、人間はどこかに感謝すべき対象物を持っているものだから、周囲を探してごらん。

 自分一人が結構になろうとしてはいけない。周囲の人々にも結構を分けてゆけば、自分も自然と、より結構になる。

 生まれつきのマイナスの因縁がプラスに変わる時は、そのマイナスの度合いの強い程、プラスの度合いも強い。

 霊感は皆、同じである筈。「お答え」が各人異なっているということは、「我」が存在することである。

 いわゆる、念力で物体を動かすことのできる人が会場にやってくると思う。その人は過去に罪を犯し、罰として物を持ち上げて下ろすことを許されなかった人の子孫である。

 霊感で表現される現象は、祖先の霊魂がそのまま、あるいは過去にあった事がそのまま出てくるのであって、事実で嘘はない。

 今日、現在を幸せに生きることが大切なのであって、どんな金も、地位も、名誉も死ねば何の役にも立たない。

 

 

9.22

 

    親子・学生

 

 両親に感謝していますか。

 両親に認められない者が、どうして外で認められましょう。

 可愛がる子程、将来遠ざかる。

 学生運動に走る者には親子関係のまずい人が多い。

 要は個人の改善です。試験は人間作りとは無関係です。

 スランプの時は、友達を作って、楽しんで勉強すること。

 身近に親がいない時、ゴマのすり様がない時は、その気持ちでいることが大切だ。

 先生を好きになり、親を好きになれば、自然と学校の成績はよくなる。

 特に学生時代には読書すべきだ。読めば何かが得られるし、次に読むべきものを選ぶこともできるようになる。

 いいことだけをほめると、悪いことは自然に消えてゆく。

 会場では特に青年に教えてはいないが、礼儀は自然と良くなる。青年の不作法は、その所属団体を考えさせられる問題である。

 親を見て、子供は自分の将来を知り、親は子供を見て、自分の為せる業を知れ。

 学生は、学校や成績には関係なく、勉強しなければならない。

 会場は大切な御子弟をあずかっているので、皆さんが幸せにいってもらいたい。

 一番身近な所に、一番難しいことがある。

 愛情に満たされるかどうかで、その子が将来伸びるかどうかが決まる。

 念を通わせるということは大切です。好きな学科が良く出来るということは、心が楽しく、心が通うからです。楽しい心が起こってくると、家庭は楽しく、勉強はできる様になる。

 進学や就職は情況が整うと自然と選択が定まってくる。親に立てつく子は浪人です。

 最初は親に反抗していても、誠成公倫会で教えられ、実行して、物事がうまくゆく様になると、こんどは親を有り難く思う様になる。

 親が好きになり、仲良くなれば、先生も好きになれるし、会社の上司ともうまくゆく。

 肉体は常に変化しているので、子供はたとえ兄弟でもそれぞれ違う。子供を見れば、受胎した時の親の状態を知ることも可能だ。

 

 

9.24

 

    会場でのお言葉 2

 

 浄滅。即ち、自己の感情から、不幸の心を消し、滅す。滅すとは、無くす事です。

 結構に生きて、楽に死ねることは最高ではありませんか。

 もの事の終わりは、次のことの始めです。

 地位、名誉、財産等は生きている間のことで、これらにこだわる人に限って、不平不満が多い。

 精神界に生きる人の眼は澄んでいて、きれい。生気は朗らかさの内にある。

 世の中は物質の世だから、美味しいものを食べ、美しく着飾る感情を満たされる人こそ幸せである。

 体に何らかの反応があっても、「我」が介在すると現象を判断することはできない。

 やっただけの結果は必ず出るものだ。まず三日以内に注目しましょう。

 ものに前後があるように、現象には表裏がある。よくわきまえて判断するように。

 人は他人に利用されるようにならねばならぬ。そうなることが幸せであろう。

 浄滅は一代限りである。次代の者が現われる事を、人々の為に、最も望んでいる。

 そこに念を集中すれば、会場に居るのと同じ状態になり得る。

 気持ちは何歳になっても変わらないけれども、体だけは老いてゆく。これがこわいなら、できるだけ若い人達の間に入りなさい。

 厳しいが、楽しんでやってゆくこと。遊びでも、真剣でも結果は同じ。マイナスになることは一切しないこと。

 いわゆる霊感現象を証明することは不可能かも知れないが、研究はしなければならない。

 会場で変わった分だけ、他の人の分も変えることができる。

 循環で、次の機会には同じことが起こる。若し悪いことなら、未然に防ぐ対策が立つ。

 先祖のなし得なかった事を、今の自分ができることは、先祖を上まわることで、先祖の遺伝から抜け出ることになる。これを浄滅という。

 祖先は自分自身のうちに存在し、目に入るもの、耳に入るものはすべて自分自身である。自身が結構になれば結構なことが目に入ってくる。

 僕のやり方には抜け道はない。すべてプラスかマイナスで判断するなどは誰もやれないのではないか。

 霊魂は空中に浮かんでは存在しない。只、脳波の交流時に瞬間的に遊離している様に見えることがある。

 思いつめたものは、たとえ架空のものであっても子孫に出てくるものである。

 瞬間的に眼前に浮かんだことは、祖先で同じことを経験したためである。

 現存するものの内に、過去の人のことが遺伝されているから、過去の人のことも写し出される。

 幽霊は己自身の内の祖先を認めるということであり、祖先の思った念、そのものである。

 幸せの感情を常に描いて、持ち続けることが大切です。

 日々、楽しくやってゆくことこそ一番大切なことです。中々難しいことですが。

 やればやっただけの結果が出る。プラスをやればプラスの結果、マイナスをやればマイナスの結果。即ち、現在の生き方如何によって結果が出る。

 この世は、生身の人間である故に楽しい。楽しんで仕事をすれば、必ず成功する。

 親に起こった事柄は、自分にも起こるから用心しなければならない。因縁事は中々助からないから、一生懸命努力すること。

 幸せの事実の前では、理論は空しい。

 

 

9.26

 

 事情と一致する感情を断ち切ると、事情はころりと変わる。自分自身が変えられなければ、事情は変えられない。

 三年六、七か月で一巡して、生命が延びる。

 心の拠り所、生き甲斐を感ずるところに、すべてが真剣に処理されてゆく。

 肉体と感情の関係は遺伝され、循環する。これは宇宙の輪廻と同じである。

 一家が明るくなるような人になれば、外でも、会社でも、そんな人になり得る。又、自分を粗末に扱えば、外では粗末に扱われる。

 自然界の異変は、人間社会の異変に先立って起こる。

 説明会をすると、先客万来となって、色々な面で自分が成長してゆく。自分のためにするのであって、色々な無駄がなくなる。

 三日坊主は三、四日で自然の循環が起こって、事態が変わることの「ことわざ」である。

 目的のない旅行をすれば、日常生活の上に意味のないことが起こる。やむを得ず実施すれば、仕事の上で無駄が出るという結果になる。

 「こだわり」をもたらすのが一般の宗教ですが、誠成公倫会はこれを取り去るようにします。

 人間の価値は、日々を如何にして生きているかで定まる。

 霊感現象は其の人の体質、因縁、感情、事情によって出るので、全く個性的なものです。

 此の世では、元へ戻せることは、何もない。同じことは、再び起こり得るが、変わるチャンスに変わらねば、いい時期をのがすことになる。

 神仏に、頼りがいがあるわけではない。すべて己にある。頼りになるのは自己の感情である。

 理解ができても、実行ができにくいところが、又、面白い所以である。何度も聞いているうちに、次第に、ものになる。

 人間は死に至るまで、楽しく働けるのが、最高の幸せではなかろうか。

 人は自我というものを持っている。これがあるために、他人を責める。これは自分がみじめになるだけだ。

 人を見る眼は必要です。これを養うためには努力しなければならない。

 生まれつき幸せな人をお手本にして、我々自身を改造しなければならない。この為には、生死の境をさまようだけの経験を、必要とするでしょう。

 自分一代で改善ができると、子、孫の時代には、いい生涯が送れるでしょう。

 何が幸せか、何が不幸かを判断できる程に体質を改善すべきでしょう。

 感謝の気持ちを生涯忘れてはいけない。人を責めてもなんにもならない。日常の言動にも性格が現われるものです。

 

 

9.28

 

 他人には勿論のこと、自分にも絶対に迷惑をかけないことが、幸せの生き方です。

 世には敵も味方も同数だけ存在する。そして、敵であることも縁である。

 人生の絶頂期を知ることは難しい。余程気をつけないと、下り坂になっていることを、知らない場合が多い。うぬぼれ、不満です。

 何事にも情熱を持って、命をかけられる人は幸せである。幸、不幸はその人次第だ。

 他人の気持ちを考え乍ら生きてゆける人が、最後には幸せになるでしょう。

 無我の境地になって初めて、他人の事情を写すことができる。己を捨てた分だけ、他人の心が入ってくることができる。

 やるだけやっておれば、安心して暮らせる。不幸を予期して、コツコツと実行してゆかねばならぬ。他人は当てにはならぬ。やれば、何事も勝手によくなってゆく。

 この世界は心の世界です。知ろうとしても分かる筈がない、と思いますよ。

 会場では顔の形を変えることはできないが、その状態は変わり得る。生活態度が個人の顔貌を変えるのと同じことです。

 自分の我の雑念を捨てると、他人の雑念が入ってくる。そして他人の雑念がとれる。

 心掛け一つでその人の運命が変わるが、言葉一つにも幸、不幸がついてくる。感情は言葉(詩)となるし、言葉は又、人を現わす。

 反省してみることは既に後退である。いいと思うことをやるところに前進がある。

 自然現象は、その時の事情、感情、気持ちが問題となって判断しなければならぬ。

 心の使い方一つで、顔は生き生きとして、生命力が強くなる。

 感情、身情、事情と移ってゆくから、よくなる条件を積み重ね、悪くなる条件を追い出すと、次第に顔はほころんでくる。

 

 

9.30

 

 過去のことは如何ともし難い。今日をいかに生きるかが問題である。感情、事情を一つ一つ変えてゆくところに進歩がある。

 我を離れ、無我になること。我は生きている証拠と考えればよい。

 刺激が強く、心に焼き付いたものは子孫に受け継がれる。

 肥満にこだわると、よけい肥満になる。肥満は不満からくる。生まれつきだから本人はわからない。

 先祖が経験したことを、全部受け継いで、吾々は生きている。

 思うまいと思ってはいけない。反対のことを考えること。

 祖先のいい繰り返しがくるように、悪い繰り返しは浄滅しましょう。

 幸せの心や真心というものは、理屈抜きで、こうすればあの人によいであろうと思うことは、我ですし、見返りを求めるなどは問題外です。ただ、してあげたいと思うだけの心です。

 社長は会場で座っている方が、より会社のためになる。

 孤独はマイナス、明朗はプラスです。

 自分が幸せの原動力であり、自分が中心である。人は一人では生きられないが、引っ張ってゆくのは自分一人である。

 物事はマイナスから始まってプラスに終わる。

 逆境のときの笑顔は難しい。けれどもこれで好転することもある。

 悪に強いものは善にも強い。

 すべてのものには循環がある。

 仕事は自分でつくるので、与えられるものではない。自ら求めて働くところに生きがいがある。

 善良と幸福とは無関係である。

 人間の世では、他人にいくら認められるかが、幸と不幸の分かれ目である。

 祖先に縁故のあるのが集まった。

 人の事情が移ると胸が痛む。手を当てると痛みが弱くなる。医者の「手当て」は有効である筈だ。男性なら右手、女性なら左手。

 反省や告白は必要ない。過去にこだわることはいけない。分かった時から新しく始めればいいのです。

 

 

10.2

 

 人の失敗を叱るよりも、叱らないで暮らす方が、より幸せである。

 世の中は一日一日と変わっていきます。それに合う様に考えも変わってゆくのが当然です。

 簡単なものほど複雑である。

 干支は全然影響がないとはいえない。暦もずれがあるし、自然界の影響がある。手相は現在の状態が出ているが、将来のことは判らないでしょう。

 同質であっても、性格は違います。自然界に、全く同じものは一つとして無い。

 自然界は相互作用のうちに新陳代謝を行なっている。

 結集は隔世遺伝であり、男性は女性に、女性は男性に結集するのが通例で、それ以外の場合もあります。

 結集する時は、発熱するとか、眠りこんでしまうとか、両者が同じ身体状態になる。

 恥ずかしく思うのも我の一つですし、くよくよ思うのも祖先から受け継いだものが、現在現われているのです。

 相手の感情が移ってくるので、できるだけ結構な人のことを考えて、悪いものには関わり合わないこと。

 生まれつき定められた道を歩むと、これは遺伝するが、因縁が消えると、これは子孫に遺伝しない。

 いわゆる、霊感現象には御先祖の因縁がある。

 頭では分かっていても、実行は中々難しいし、又そうなりきることも、直ぐというわけにはゆかない。度々繰り返しているうちに、習慣となって、自然と、できる様になる。そうなれば楽しくなる。

 僕のやり方は幸せになる最短距離で、簡単なことなのだが、実行は至難なので、生涯努力すべきである。

 とか予感等は、先祖の経験が子孫に遺伝して現われる現象です。

 自然現象は一定の周期をもって循環しているから、肉体の変化にも、経済の変動にも波がある。歴史が繰り返されるのも当然です。

 同質の人間関係は長く続くが、体質が変わってくると、その関係は切れる。

 いい感情の世界に住む人は、いい顔付きをしている。

 努力して自分の殻を破って質を変えねばいけない。それができるのはだけです。

 陽の当たる場所で活躍すべきです。日陰で働いても、効果は少ない。

 もの事をどんなに感ずるか、或いはどんなに考えるかによって幸せになるか、ならないかが決まってくる。

 可能性は自分に問うべきであり、「お答え」に問うべきではありません。

 精神は肉体にのみ存在し、フワフワと空間に単独で存在するものではない。

 肉体が滅びると精神は最も近い肉体に結集します。そして完全にその人のものとなります。

 人は心の拠り所が必要だし、結構な話を聞くことも必要です。これが会場です。

 自分の因縁や遺伝を知っても、ただそれだけのことである。それから抜け出さなければ何にもならない。

 必要と思ったものが自然に得られるようになるのが、浄滅の醍醐味である。

 どれだけ「我」を消せるかが、「すなお」になれる条件です。

 いわゆる、第一印象というものは、先祖に何かが関係していたのでしょうか。何かを感ずるということでしょう。

 物事はすべて相対的であるので、自然現象も、もう一方の意味を考えて、上手に利用すべきである。

 会場がなくても、心の問題だから、何処へ行っても、「幸」の道を忘れないように。

 自分を大改革しないで、生まれたままの素質でいっては、この現象は起こらない。

 同質化は一般会員の方にも同じように起こるので、教師にだけという特別なものではない。

 自分が幸せになるためには、周囲の縁のある人を幸せにすることから始めなさい。

 いいことも、悪いことも、すべて自分がその条件を作り出すのであるから、自分自身を変えなければ、いつまでも良くならない。

 自然現象は循環します。常に二度目を用心すること。

 現在が幸せであるように、若い時は若者の現在で、年寄りは老人の現在で、努力すること。

 説明会へ行くと、何か得る処があるものです。いいものだけを十分吸収して下さい。

 何事も出足が良ければいいものです。ですから、いい感情で最初に臨んで下さい。

 悪い事態を回避するには、用心するだけでは不可能です。体質改善以外に方法がない。

 新婚旅行の行く先決定には、その土地の歴史を知る必要がある。当時の先祖に何らかの関係ある感情が働くからである。

 結集する者も、される人物によりけりで浄滅の度合いによっては、いいものが結集することになる。

 自分を大切にすると結構になり、周囲も喜び、結構になる。

 人生、遊んで過ごせば、遊んだだけの結果しかでない。感情だけで連なる人はそれだけの関係しかない。

 予言は考えていない。現在の生き方が間違うと、結果も間違ってくる。

 説明会は「幸せ」を説くので、その結果は必ず起こってくる。

 他人には真心を持って処してゆかねばなりません。思ったらして上げるだけで、恩返しなどを求めてはいけません。そこには「我」が現われます。

 浄滅の醍醐味はなんとも言われないほど。死んでしまうのが勿体ないくらい。

 

 

10.4

 

    先生ご自身のこと

 

 僕は意志が非常に強く、自分で自分を変えてゆくし、オデキは自分で切る程です。

 男が料理をする時は、無駄な支出がある時期です。

 僕は生きるか死ぬかの時に、生きてゆくには「和」が必要であると悟った。

 僕は勉強は出来ない方だから、人一倍しつこく勉強する。

 僕は質問されて、返事に困ると、本を読んで調べる。この機会に読んだものは全部身につく。

 僕の生活の場は会場で、旅行などへ行く余裕はなかったが、ある年は暇ができたので、伊勢から甲斐に遊びに出かけた。

 僕の遊びは、これが表に出てくると、すべてが仕事になる。

 旅行が計画通りにいったのは、すべてが計画通りにゆくということで、私、個人がうまくゆけば、会場全体がうまくゆくということになる。

 僕と家内とは、意見に相違はありません。若しあれば、「三下り半」に印を押してもらいます。

 僕の力は自然であるので、体験で知ってもらう外に方法がない。

 僕の体はマイナスの条件をもったフィルターです。相手の苦しみを全部移して、僕の新陳代謝で消化し、不活性化し、消毒し、解毒して分解してしまう。それに従って、相手の苦しみがなくなり、楽になる。

 僕は、これでも毎朝、30~40kmを、時には60km以上も自転車で走っていますよ。

 僕は「あかつき」の君といわれた。実は「暁」にあらず「垢つき」のことで、事態が定まるまでは風呂に入らない時もありました。

 僕は結構な生き方はこれしかないと考え、その通りの生き方でやってきた。そして、間違っていないことがわかった。

 僕は幼稚なんでしょうネ、便利さを嫌ったり、造花をもらって喜んだり、家では童謡を歌っているんですよ。

 誠成公倫会は、日本だから起こってきた。僕は日本人だから、その縁故で人が集まる

 この因縁、歴史はいずれ研究者たちが説明してくれるでしょう。

 皆様と今、お逢いできるのは昔からの御縁があるからですよ。

 僕は真実しかお話しません。これも自然現象でしょうか。

 僕は浄化作用を持っているからこそ、僕の価値がある。

 代理や教師の人も僕があってこそ、価値があることを忘れてはいけない。

 僕の将来は約束されてはいるが、決して甘んじてはいない。

 皆さんは本当に可愛い。僕は失敗できません。僕と一体で幸せになりましょう。

 昭和三十年頃の毎日新聞に「将来の宗教について」の対談がある。結論はキリスト教と仏教の中間の様なものが、能勢の山から始まるとあった。当時僕は能勢の山にこもって制作していた。

 僕には、結集は無数にありますが、御守護と言われる立場の先祖は、四十八名あります。

 僕は体自体が、発信機になったり、受信機になったりすることができます。

 先祖からの縁故のある方々が集まる会場に出てこられることは楽しい限りです。ですから、僕は最初からの構想を是非実現したいのです。

 八島家の祖父は、上野寛永寺に立て籠もっている間に、喧嘩して二人の人を斬っています。父親も頑固一徹、正義派です。

 会場では友達が増えて、皆さんのお名前を覚えるのに忙しいです。

 僕の幼児期には、家へは教師が始終出入りしていましたよ。

 「お答え」は脳波の働きです。

 僕は、いわゆるオーラ現象については分かりません。何故、病気がよくなるのかも分かりません。御守護という言葉も会員の皆さんがつけた名称です。祖先のことです。

 誠成公倫会には全然意味のない人は来ません。皆さん御縁のある方です。その縁は、祖先が宮廷人であったり、それぞれしのぎを削ったような人々の縁です。

 人間は新陳代謝を行っている限り、会場では、居眠りしていても、体質改善は起こっています。けれども、遠隔地では雑念を捨てなければいけません。

 僕の父親は、会社から帰ると、着物に着変えて、机の前にきちんと座って新聞を読んでいました。こんな父親を憎んだこともありました。但し、親を慕う心は一時もなくしていません。又、唯一度とて、口答えした事はありません。これは今もその気持ちに変わりはありません。

 僕には、計画は不必要です。其の日、其の時の結果をみて、その通り進めば、間違いないという自信があります。

 僕は西洋の小説を大分、読みました。小説は色々な知識が得られるので、どんどん読むべきだと思います。

 僕の眼の前が開けてみえたのは、誰も、未だ踏み込んだことのない世界でした。

 僕は常に忙しくて、ゆっくりとは、中々できない。起きてから寝るまで働きずめです。

 僕は今後、中国人に生まれ、それから十三回生まれ変わって、インドで又、皆さんにお逢いできるでしょう。しかし、それは子孫です。

 僕の代理の者が、色々な所で、色々な人に好かれていると聞けば、僕も嬉しい。

 僕は美しいものを求めて止まぬ気持ちで、「のみ」をふるって彫刻をしたが、それが形を変えて、幸せを求めて止まぬようになった。

 昔、僕の行く場所には雨は降らないと言われた。雨の降るのは僕の責任じゃないのに。

 僕は夢だけ持って、世の中へ飛び出して、ガムシャラにやってきた。自分の健康とか、生命のことなんか考えたこともなかった。

 この集まりが寝屋川市の、公共的建物の内で持たれるようになることは、僕が能勢の山にいた時に予想した。

 予想、予見、予言ができるということは、祖先にそのような人が存在したことになる。

 僕の詩には必ず「夢」という語がある。常に夢を持たねばならぬ。僕は恐らく、歌をうたいながら死ぬでしょう。でもやはり、死は嫌ですね。

 彫刻は身を刻み、孤独になりますね。むしろ絵を描く方がいいと思いますよ。

 僕は‟ええ格好しい〟だから、ヨボヨボの姿を皆の前にさらすのは嫌です。

 僕は月の光で、拡大鏡で本を読んだ事があります。その時は薄氷の上に座っている様な気持ちでした。

 僕は昔、刀剣に興味を持ったことがあったが、これは親に反抗する気持ちの時でした。

 僕は能勢の山で、人間の心と体との関係、人の生きる道を悟りました。又、お経を読むと、その裏まで分かる様になりました。

 僕はお山に居た時に、我が家を訪れる人をその前日に大体知る様になりました。ある夜、欅の板縁や橘のある屋敷跡の夢を見ました。翌日「来い」という身体の反応があって、京都に出かけて、八条女院所領を発見し、夢と同じ屋敷跡を見た時には、びっくりしました。

 僕は自然と取り組んで勉強しました。理論でなく、真実を相手にしました。

 祖先にあった事は必ず出る。霊感現象にも自ら専門がある。僕は僕にあるだけのことは分かるが、僕にないものは分かりません。

 僕が相手のことが分かるようになったのは、長年の研究であって、もともとはなんにも分かりませんでした。能勢の山の中での勉強、経験、研鑽の賜ですよ。

 僕は嘘は言いません。ただ都合が悪いことは言わないで、黙っています。

 人間の性は善悪どちらでしょうか、とよく聞かれますが、僕の返事は「助平であることは確かなようです。」

 ネクタイ一本にも、その人、その時の感情が表われている。そしてそれからその人の社会的地位や状態も分かる。

 僕は気分的に楽しい時は詩を作ります。その時の精神年齢は十七歳で、最も危険な時代かも知れませんね。なんでも楽しむ気持ちを忘れないように。

 僕は心眼で作品を見るようになって、その作家の性格、人格を判断できるようになった。

 作品は年数だけでは売れない。すべて作家の感情による。感情が大衆にアピールして、初めて作品が売れることが分かりました。

 僕は、犬でも甘ったれられると、弱いので、出かける時は、犬にも気がねして、そっと出てきます。

 僕は医者の上前をはねる気は、全然持っていません。会員の皆さんが幸せでさえあればいいと思っているだけです。病気がよくなるのはおまけです。

 僕は会員の方の家庭が幸せになった、ということを聞くのが一番嬉しいわけです。

 僕は地図を見て、世界中を旅行していますよ。家の中には、世界各地の名所、土産物等の案内が揃っています。そして楽しい場所に行く様に心掛けています。戦趾等はできるだけ行きません。特に新婚旅行にはこんな趾を選んではいけません。

 僕の弟の一人に、子供時代、ワンパクで仕様のない者がいた。姉が伊東へ連れていってやるといったら、猛烈に勉強して、高三の時は学年代表になった。これは親が子供を粗末に扱った為で、愛情不足のせいだと思います。しかし、成績が良くなると、ホイホイと扱われた。最初から愛情を注いでやればよかったのに、と思います。

 僕は自分で楽しく生きてゆける自信がある。この自信が皆さんの前で話ができる所以だろうと思います。

 僕は幸せ過ぎて、死ぬのが勿体ない。若し、死ぬようなことになれば、神様をうらみますよ。

 僕から出ていると言われている電磁波(不思議な力)は一体どこから出ているのでしょうか。早く研究してもらいたいものです。

 どうも、僕は最後に一言多いので、これは早く浄滅しなければいけませんね。

 僕は、歯に衣をきせずに申し上げるので、その点、御了承下されば、有り難いと思います。

 何にもなくて、この壇上に座っていることは退屈でしょう。でも、皆さんが、色々と芸をしてくれるので、助かります。

 人間シャレッ気のない時は、寒々とした感じがします。シャレはおシャレでいいんですよ。僕の詩はロマンチックでおセンチなものです。 

 一人で居ても、常に楽しい気分になれるように、日頃から訓練しておきましょう。

 念ずる時は、「八島」でなく、「御守護様」にして下さいよ。御守護様を念じても、八島を念じても、私の体にくる事は変わりはありませんが、生身の個人八島は、人様に念じられる様な神格でないから、区別して頂き度いだけです。

 品物を買う時は、事情を買う。何をどの様に買うか、私は楽しい事情、良い結果を考えて買い物をするのが、とても楽しいです。

 いわゆる霊感現象の出る方は、お幸せで、お気楽で、周囲を気にしないで、結構ですね。若し、僕にもこの現象が出たら、どうでしょうね。

 僕はお約束が果たされないと、病気になる性です。

 僕はなんにも困ることはありません。家は一間で結構です。たとえ家が焼けても、戻らなければならぬということもありません。

 僕は自分一人で制作していた。次第に生きる範囲が狭くなってきた。どん底生活になって、己の我を捨てることに気がついた。そして、大勢の中で暮らしてゆけるだけでも幸せであり、孤独が一番みじめになる原因だと悟りました。

 僕は鑑札をもらって、プロの間を往来して、骨董品や宝石等の鑑定をしたことがあります。

 僕はある時は、「ノリマキ」を一本食べながら、仕事をしました。その半分は迎えに来てくれる運転手君にあげることにしていました。自分より他人をたてる心が幸せにつながると思いますよ。

 僕は口が悪いわけではありません。ただ、本当のことをいうだけなのです。

 僕が黙っている時は、余程、難しい問題を考えているか、身体の調子の悪い時です。僕は一年中歌っているか、話しかけています。

 僕は常に楽しい気分でいるのでしょうか。どんな材料でも楽しいものにできます。

 僕は俗人だし、格好つけてゆかねばならぬことはないので、気は楽だ。

 私は自分の精神的に不安な境遇から抜け出すための努力を繰り返すことによって、自分が変わってきた。

 肉体と精神は同じであることが分かってきて、自分の肉体の変化で他人の悲しみを知ることができるようになった。

 政治の可否も、人心の変動も又自然の成り行きです。だが僕は毎日感謝のうちに過ごしています。

 僕は両親と一緒に歩けるのが嬉しかった。又そのことで鼻が高いとさえ思っていた。

 その当時、僕の父親は九十九歳で大阪に住んでいました。父親は三回この会場に来たことがあります。僕はいつも、親に口答えをしたことは一度もありません、と言って会員の皆さんに紹介しました。

 若い人が、真っ直ぐな心で歩み出しているのを見ると、本当に嬉しい。

 僕は何年間か能勢の山に住みましたが、蛇には咬まれませんでした。咬まれるにはそれだけの事情があります。僕は誰とも争わなかった。又、猪の通路にも幾度も這入り込みましたが、残念ながら逢えませんでした。人を責める心を棄てたからです。

 人を責めて、グチっぽかった僕が、今、皆さんにお話しているのですから、考え様では、いい加減なものでしょうか。

 私は祈念に特別な方法は持っていない。自分の感性の性格が今日の結果となっている。

 僕はいわゆる、霊感現象は出ませんが、体は始終ポコポコと感じています。それを研究して、今日の基礎ができました。

 私にとっては会場の皆さんのことが最優先となります。

 僕は男女を問わず、浮気心のない人を見たことがない。だから、自分だけの浮気心なら許されるべきかも知れないと思う。

 ギャンブルは何かの埋め合わせでやっているのであろう。僕は一切やりません。

 僕は宣伝はしない。人の本質はそんなに差があるものではない。威張っている人は窮屈だと思います。

 一日一日を無駄にしないで勉強すべきだ。僕は拾い読みですが、必要に応じて、しつこく読み続けるうちに分かってきた。

 僕の家では両親から何一つ援助して貰わなかった連中が、まあまあの生活をしている。

 僕は御守護の命令でネクタイをしめていますが、誠成公倫会のループタイは中々いいものですね。

 鳥越憲三郎氏は私と似た考えをもっているが、詳しいことは未だ解明していない。その不明な部分はこの会場でなければ分からないでしょう。

 僕は若い時、珍しい服装をしていた。即ち縦縞の服に共生地の帽子、マドロスパイプに白い手袋をはいて、ステッキをついて歩いていました。想像してみて下さい。

 世間一般では、口約束は無いものに等しいが、僕の口約束は実印を押したのも同じで、必ず実行します。

 僕は信用されているらしい。買い物等は名前だけで済みます。勿論支払いは確実です。

 僕は若い時、他人が目に入らなかったし、人が何と思っていようと、それこそ、何とも思わなかった。

 女性に、もてたいなどとは思わなかった。

 現在の政治家は自分の利益だけしか考えていない様に思えたので、それまでの一切の付き合いを止めて仕舞いました。

 僕は長男だが、跡を継いでいない。両親の財産は皆さんの気の済む様になればいいのです。遺産はもらわない方が気が楽です。

 僕は相手の心が分かる。勿論、人は全然気付いていません。誠成公倫会ならではの事だ。

 僕は妥協しません。すべてプラス、マイナスで動くので御理解下さい。

 

 

10.6

 

    人間・人生

 

 何事でも責任を持ってするように習慣をつけておきましょう。やりっぱなしの人は他人のお世話になるものです。

 人に注意する時は、その注意が自分に言われた時のことを考えてしなさい。相手は生きているんですから。

 人の上に立つ人は、他人の長所を必ず認めて、伸ばすだけの思いやりがあります。

 どんな人とでも、長所を認めてつき合っていると、将来必ず益することがあるし、仕事もうまくゆく。

 何事も新米のうちが、瑞々しくて、いいものです。

 人間が物質なら、物質の範囲で分かるでしょうし、若し、精神的なものならば、精神的にしか分からないでしょう。

 こわれた人間の心は中々元へは戻らない。

 自分を成長させるのは常に自分です。

 人間は一つ間違えると、グチばかりが出てくる。

 結構な方は、結構な心の持ち主です。

 その人の分に応じて、すべてのものが起こってくる。マイナスの人はすべてのことがマイナスであり、プラスの人は起こることがすべてプラスである。

 

 

10.8

 

 己を知るとは、他人のものの善悪を冷静に判断できること。又、自分をごまかさないで、自分の欠点を知り、如何にすべきかを知ること。

 親切の押し売りはいけません。

 若い人を相手にしている人は、しわがよらない。自分の顔は自分で作るべきです。どんな心の世界に生きているかで、その人の顔は決まってくる。

 美しさを知らない人は、喜びを知らぬ人だ。

 持って生まれた性質を改めることは非常に難しい。これができると浄滅も可能である。

 偏屈や皮肉を売りものにする人は不幸だ。

 何でもやりとげること。少しでも残すとそれは何時までも残る。

 人とうまくゆかないのは、先祖に於いて、その人と対立関係にあったことになる。

 祖先からのお知り合いとは仲よく、自分の我を出さず、どんな御縁でも大切に、人の信頼を裏切らないで、約束は必ず守り、人には迷惑をかけない。たとえ、だまされても人を責めない。こんな生活が幸福というのでしょうか。

 無理をしても愉快な気持ちで過ごしなさい。そして大勢の中に出ていって話をしなさい。

 自分を生かせる人は幸せである。

 理屈屋結構です、進歩があります。何にもなければ従順そのものになるべきだ。

 積極的にやる人はリーダーになる資格があるし、やっておれば又、できる様になる。

 いい波に乗った時は、その状態がいつまでも続くように、あるいは保存するように努めることが大切です。

 誕生日を境に事態が変わるので、前後どちらの状態であるかを知る事である。

 一歩下がって、物事を考えると、色んなことがスムーズにゆく。

 生物は皆、生みつけられたものがある。人間は多くの条件付きである。

 暗い心の人の集団でも、その中心には必ず明るい気分の人がいるものです。

 自尊心は良い方に生かせれば、いいものですよ。自分で何事も解決してゆける人がいいのですよ。

 若い人は人を自分のワクに入れようとするが、これは世間を知らないためです。世間を知るには年数を必要とします。世間を知っている年配者は魅力あるものです。

 世間が狭くなると、生きづらくなる。

 老人が大切にされ、可愛がられるためには、新しい時代を理解しなければいけない。

 いい物を持つことは、物を大切にするし、気おくれをしないし、馬子にも衣装です。

 人は何故生きているか、誰も知りませんが、生まれたことを感謝すべきだと思います。

 他人に信頼されて初めて、人の頭に立つことができる。その人の人間性でしょう。又、他人に買われるだけのものを持っていなければならない。

 中心の人が変わってゆけば、その団体はよくなってゆく。対外的に理屈屋がいれば、家の内にも屁理屈を言うものがいるものだ。

 人間老いた時は上品でありたい。

 人生には心の糧が必要である。

 やるだけやると、全部自分のものになる。

 センベイ布団に座れないような人は小物でしょう。将来伸びないでしょう。

 人間は常に岐路にある。気分の悪い時は何にもしないこと、いつも悪影響が出る。

 

 

10.10

 

 腹が立つ時も、つとめてニッコリとしましょう。

 生命に終わりがあることを知れば、一日が如何に尊いかということも知るべきである。

 老死の場合は、男性は女性に結集は普通ですが、すべてではありません。

 大将になるには上司に上手に仕える人、心の広い人で、人を蹴落としては大将にはなれない。

 自然界の定めは力のある者が大将です。力とは気力、体力、知恵共に優秀なること。

 この世で頼れるのは己だけである。己の生きているということを、しっかり知ること。決して思い上がってはいけない。

 人間の世界を、常に正しく、平等に見てゆくことは大切なことです。

 面倒くさいことでも、やってしまうと、いい気分になります。

 人はその時、その時の絵をかいて、生きてゆきなさい。

 現在は永続きしないから、現状に満足しないこと。

 人は責任を転嫁し易い。自己中心を捨ててお互いに譲り合う気持ちで、感謝し合えば、自他共に幸せになることは必定。

 人生が分かってきたら、そこから再び始まるから、その時から又、出発すればよろしい。

 他人に求めないこと。味方があれば、必ず敵がある。

 自分以外のもう一人が、常に自分をみつめていることを意識しなければいけない。

 何かにすがっていては生きてゆけない。ほどこしを受けない為には、自分でやってゆかねばならない。

 何事も分かるまで努力しなければならぬ。

 人前で話ができるのは自分を育成したからであり、又、話することによって自分を育成するのですから、できるだけ話をすること。

 宗教哲学よりも、現在に生きる方法が大切です。その方法は他人に認められることで、他人を倒しては自分は生きられない。

 姿勢は心の現われでしょうが、お婆さんの猫背は一家を背負ったからでしょうか。大衆の中で姿勢を正す人が抜きんでてくる。

 

 

    夫婦

 

 夫婦仲良くすれば、プラスでないものは自然と去ってゆく。

 夫婦が相反すると、いい仕事も逃げていって仕舞う。

 夫婦は同質だが、性格は相反する。

 夫婦と父母の関係は三角関係である。心から、こだわりをなくすることが「和」を保つ最短距離である。

 どんな社会でも、妻が認められると、夫もその社会で認められる。これがバランスというもので、自然の法則である。

 子供を産もうとする時は、夫婦はいい感情で交わらなければならない。

 夫婦の性質は全く反対であるからこそ、いいのであり、また悪いのです。

 主婦が他人にもてる時は、主人も浮かび上がってよいが、浮気をすると、主人にもめ事が起きる。男性は主人のいる女性と交わると、必ずもめ事が起きる。

 夫婦の仲はむつかしい。あればうるさいし、なければ欲しいし。

 すべて親の教育や夫の教育が、子供を、妻を一人前にする。これは猿や犬を訓練するよりも根気が必要である。

 夫婦仲が悪いと、生徒は必ずたてついてきます。

 自分を変えることは難しいことだから、生徒に「改めろ」といっても、それは無理なことだ。

 女性が結婚して、亭主の働きで、着飾って見せびらかせるという、そんなささやかなことの中に幸せがあるのではないだろうか。

 奥様は御主人をほめて上げて下さい。必ず御栄転があります。

 夫婦間では、お互いに好きであるということと、幸せであるということは別である。

 奥様方は御主人には感謝を、目一ぱいに、より以上に表わすのがよろしい。

 生涯、恋愛感情を持って生きてゆくことは幸せである。夫婦でも同じことで、感情的な不幸を持っていってはいけない。

 主人の求めるだけのことをやっている妻はいいが、求めないことまでする様な妻はどこへいっても、でしゃばりとなる。

 いい妻だと感じた時に疲れがとれるし、仕事もうまくゆくということになる。

 夫婦はフゥフゥいいながらの共同生活です。

 生みつけられたマイナスを一つずつ浄滅してゆきましょう。主人と上手くゆかない程不幸なことはない。ここで頑張って、教えられた感情を使うこと。

 最初は「アバタもエクボ」の夫婦も、年経ると次第に、自分にないものを相手に見つけて、責め合うようになる。他人なら知らぬ顔の事柄を、悪気なく言い合う。少しは他人行儀のものがあってもいいのではなかろうか。

 親しき仲にも礼儀あり、を拡大解釈して、お互いに労をねぎらって、感謝すべきだ。

 

 

    女性・結婚

 

 女性は常にニコニコして、むしろお茶っピイの方が好かれる。

 女性の泣き落とし戦術は、チョンマゲ時代の話で、流行遅れ、泣く時は鏡を見てごらん。

 女性の職業は、それで家庭がプラスになるならやりなさい。マイナスになるなら止めなさい。

 女性は明るく、かわいくて、みんなにかわいがられるのでなければいけない。不要な返事をしないこと。自分をもち出さないこと。我をださないこと。

 浮気心のない人間はいない。

 いかに体質が変わっても、男女の性が変わる筈はない。又個人の内容にある男性女性の質の割合も変わらない。

 女性の進む道は、女性の役割を自覚して、完全に果たすことである。

 女性の価値は容姿ではなく、味のある女性であること。男性なら人前に出してもいい男性であること。

 いい条件の時に決まった結婚は将来うまくゆく。お見合い結婚の方が、恋愛結婚より成功率は大。

 男女は常に平等です。お互いが努力してこそ向上があります。

 おしゃれは異性のためにある。美しい顔もその人のうちから、にじみ出たものでなければ本当のものでない。

 博識であることは其の人を助ける。いい趣味をもつこと。下品は結構になれば次第に通用しなくなります。

 誰でも夢を持ちましょう。そして胸を張って姿勢を良くしましょう。以上の二つは、女性が美しくなる条件です。

 趣味は広く浅いのがよろしい。女性の独立独歩は不幸だと思います。夫をうまく操縦できる人は幸せだと思います。

 何時までも少女趣味を持ち続けられたら、何時までも楽しい気分で居られる。

 父親に好かれるようになると、よいボーイフレンドができるようになります。

 釣書が落ち着く所は、同質の家である。「つり合わぬは不縁のもと」ということは、両人が同質でないためである。

 異性のことを考えない様になると、人間も終わりだ。生きている間は健全な色好みでありたい。人は常に楽しみを持って生きること。

 相手に理解してもらうのは難しいので、自分が理解するように努めましょう。

 御縁のプラス・マイナスということは、結果が良かったものがプラスであり、その御縁は止めていて良かったということが最初に分かるということが、プラスの状態である。

 お答えは、その時の本人の状態によって、プラス、マイナスが決まる。御縁の話も、こちらに悪い時は相手にも悪いのであって、先のことを読むのが誠成公倫会の「お答え」です。

 結婚はその人が最高の条件を満たす時に、即ち、たとえ貧しくとも一家団欒の状態が続くような時に最高となる。「玉の輿」は最高の状態で最高の条件が整った時に起こる。

 いい感情を持って行くと、御縁は次々と出てくる。会場のお答えは転ばぬ先の杖である。

 結婚と職業とは、幸せを標準として考えなさい。

 お嫁にゆくのも幸せ主義でゆけばよろしい。物質的条件などは結婚の条件にならない。

 女性の魅力は会話、身だしなみ、身振り等の全人格的なものである。

 香水は一番よく売れているものを選ぶべきである。

 会場へ来る女性がきれいになるとは、本当のことである。

 自分が可愛いかどうかは、周囲の人が決めることです。女性の明るさはすべてに優先するものがある。

 女性の標準は時代と共に変わり、現代は現代の女性のタイプでなければならない。

 理想は高く持って、楽しくお見合いすれば、必ずいいお相手がみつかります。いやいやお見合いをすると、その程度の人しか出て来ません。女に生まれて幸せよ、というようにならなければいけません。

 誰でも、石ころが飛んでくるよりは、女性が飛んで来る方がうれしい。

 女性の髪形は男性に好まれるのを選ぶべきで、女性に喜ばれる様なものはどちらでもよいということである。

 

 

    男性・仕事

 

 男性は仕事に打ち込めるということが第一です。この様な会員は、たとえ悪条件にあっても、次の良い波に乗れるからです。

 僕は俗人だが、やさしくて、いざという時は誰もが退くような男が本当の男だ。

 会場に座っているような青年は、社会にはそう沢山はいない。僕は誇りに思っています。

 男性には、闘争心は不必要ですが、ド根性は必要です。武道の好きな人は親爺に反抗する性です。

 説明会をすると、就職試験もうまくゆく。これが自然界のバランスでしょうか。

 

 

10.12

 

    家庭

 

 家庭内のゴタゴタは必ず子供の病気となって現われる。

 家庭の平和さえ保てないものが、どうして世界平和など保てましょうか。

 道具類は生きるものを、生かせられるものを買うべきだ。内容にふさわしいものが、結果として出てくる。

 子供の名前はよく考えてつけないと、老いてからの魅力に関係する。

 十二支も或る程度当たっているし、「暦」も三年間の時代のずれはあるが、全くのでたらめではない。

 嫁姑の関係がうまくゆかないのは、自分がそうしたので、そうなったのは、その人に理由がある。

 掃除、洗濯、洗い物等はその場限りで、きちんと片付けなければならない。そうしないと頼んでいた事も、中々頼み通りにならない。

 一家の人が同一方向に向かって歩めるということは、結構なことだ。

 墓参は事態を変えるのに役立つから、悪い時に、最も効果のあるように演ずべきです。

 

 

    宗教

 

 地獄、極楽はゾロアスター教的である。この拝火教は太陽神教となって日本に伝来した。

 神仏へお参りして、心が清らかになるのは「こだわり」です。人間は自分に都合のよい方へこだわっている。神仏はそれ自体、自分の心の中にあるものです。

 宗教は悲観的な気分になった時に利用するものです。どんどん進んですべてがうまくいっている間は御無沙汰するのが普通です。

 宗教にすがる心があるうちは、本当に生きてゆけない。

 誠成公倫会は生活の指針と考えるといいので、宗教であろうとなかろうと、どちらでもその人の考え次第です。

 キリスト教の罪、仏教の業は背負ってきた遺伝的なものです。これから抜け出るのが誠成公倫会なのです。

 天国、地獄、極楽などは、観念的存在に過ぎない。

 

 

    民族・社会

 

 いろんな文化と共に人種が入ってきて、日本人は混血の民族となった。

 自由主義社会も自然と共に考え方に変化が起こって、その考え方に従って存在することができるでしょう。

 英国と日本とは相対的だが、純粋性は日本に分があるように思います。

 人間の社会組織は感情で組織されている。

 白人と黒人は祖先は一つで、黒人がなくなれば白人も消えてしまうことを知るべきだ。これは両方が同質であって反対だから。

 世の中は刻々変化しているので、それに合わせて、行動しなければならぬ。そして、一般的社会常識を破ってはいけない。

 家庭の和があれば、社会の影響はなく、家庭は結構になって行く。

 不幸は起こるべくして存在する。社会奉仕がその人達にどれだけプラスになるでしょうか。国家に対しても、家庭に対しても、多くは期待できないでしょう。

 自分に関係のない仕事はしないように、名誉心のみの慈善事業には手を出さないように、それらの結果はすべて無になる。

 

 

    友達

 

 自分より他人のことを考え、相手の気持ちを尊重しなさい。これは友達ができる方法なのですよ。

 僕はキリスト教で育ち、仏教を学び、誠成公倫会を発見した。友達が増えることは幸せの始まりです。

 

 

10.15

 

    金銭・商売

 

 金の入る条件さえあれば、悪人でも善人でも、金は入ってくる。

 物質的な豊かさと、精神的な安らぎとは、別なことである。

 僅かなことにも興味を持って、楽しい人生を送ろうとするお店へは、お客は安心して集まってくる。

 成功は、自分の努力と他人が認めることで達成される。

 成功は、その人の人となりによる。物質によらず、感情による。

 円は縁故でやってくる。人とふれ合う感情が問題となる。

 商売はお客の好みに応じてしてこそ、発展するものだ。

 筋道を立てて、物事を進めて行くと、相手も筋道立てて応じてくれる。商売がうまく行けば品物も順調に回ってくる。

 働いても働いても貧乏なのは、多分頭の悪い人でしょう。この会のゆき方でやっていれば、お金は勝手に入ってきます。

 夫婦は平等であり、すべてのものは半々である。儲けも負債も。

 金よりも信用が大切です。家庭内が平和で暮らしている間に金は溜まります。泣き言を言っている時は不必要な金が出て行くものです。

 感情は勘定です。会場に来ている人が金に困るなどは恥ずかしいことですね。

 金儲けは案外、ガタガタ走り回っている時は出来ないものだ。その時の感情が問題になる。

 同じことをやっても、うまくゆかないのは感情がないからである。

 不平不満の人は愚である。生き方こそ大切だ。金銭に頼らず、金銭が自然に入ってくる方法に頼るべきである。

 一家が協力すれば富豪になるであろうし、一族が協力すれば財閥になるであろう。

 此の世は右か左か、伸びるか落ちるかのどちらかである。

 どんな時代でも、幸せになれる人間はいるものです。不景気な時代でも、大儲けする人もあるのと同様です。

 

 

10.16

 

    自然

 

 自然は必要な時に、必要なものを作るものです。

 自然界の法則として、相反するものは必ず存在するし、自然に反しようとしても、必ず元へ戻るものです。

 自然は絶滅に向かって進んでいます。これを食い止められるのは会場での浄滅しかない。

 自然をよく観察すると、ある状態は自然にその場に合ったものが出ているものだ。

 自然を創造したものがあるとすれば、それが神と称せられるであろう。

 死とはこの世に存在しなくなるだけのことで、遺伝により、肉体は再び次の時代のものを形成する。

 

 

    小言

 

 身近なところに危険があります。相手の心を傷つけるぐらいなら、真実も告げないで、黙っている方がいいのです。

 小言をいって、若し心にひびが入ると、これは生涯元には戻りませんよ。

 

 

    脳波

 

 脳波は発信、受信が同時に起こるので、光より速いかも知れない。

 いわゆる、テレパシーはどうやら存在するらしい。これが可能であるためには、一切の外からの考えを入れてはいけない。我を捨てようと思うことすら考えない状態でなければならない。

 

 

10.18

 

趣味

 

 どんな些細なことにも楽しめるだけの基礎をつくっておくことは大切なことです。

 ドーベルマン大会は、一堂に会することが眼目ですが、犬の性質も大切です。大会の目的の半分はドーベルマンにある。そして、大昔からの縁故の地に集まり、共にある時期を乗り切る。

 好きなことをすれば、その方に気を奪われて、嫌なことは忘れられる。楽天家の方が楽しい生活を送ることができることは確かです。

 何でも見て、聞いて、読んで、楽しむことですよ。

 興味のある時は何でもよく頭に入る。趣味は、その精神に於いては結構だが、形式にとらわれてはいけない。

 芸術は永遠に満たされることのない慾を、常に求めてゆく生活の連続であるので、決して幸福ではないと思います。若し、満たされるとその芸術は、そこで終わりとなるからです。

 何事も専門的になると、深くきびしくなって、不幸に連なる場合が多い。趣味は広く、浅くが常識で、その方が幸せである。

 楽しむ時は、変に格好などつけずに、単純に、子供のように楽しめばいい。

 作品はその人そのものであり、全人格が現わされたものである。

 センスはものに触れて養うこと。そうすれば自然と身についてくる。

 人の終わりはみじめなものです。だから年老いて如何に生きるかが問題となる。うんと楽しみを持つこと、若い時から欲得なく好きな事に気を奪われること。そうすれば、楽しく死を迎えられることでしょう。

 手相、人相、骨相も長い間の統計だから、ある程度当たるでしょう。手相、人相を変えられるのは誠成公倫会だけ。

 読書は平和な平凡な作家の小説が良い。自殺等した作家のものはいけない。

 姓名学も因縁事ですが、どんな名前をつけても性格は変わるものではない。

 占いは当たっただけでは価値がない。当たったマイナスをプラスにできるのは誠成公倫会だけ。

 

 

10.20

 

保健・医療

 

 病気になる感情と、正反対の感情の使い方を覚えること。

 病気の半分は会場で座っていれば治るが、後の半分は自分の努力で治すべきである。

 合成薬品はこわい、漢方薬の方が自然だが、個人的差は著しい。

 こだわりを持つと病気になる。このこだわりを離そうとしないで、正反対のことを考えていれば、病気は良くなってゆきます。

 健康が第一です。事故は腹立たしい時に起こりやすい。

 身体は毎日変化している。誰でも、もう少し若いままでありたいでしょう。でも、ものには限りがあるので、いずれ終点がくるでしょう。

 病気の病の方は医者にまかせても、気の方は会場にまかせなさい。

 結果がよいと分かったら、嫌でも実行しなければならぬ。夫婦の仲とて同じことである。

 

 

10.22

 

 幸せの最先端には健康があります。身体は大切に使いましょう。

 体内に入った外からの異物は、感情と一致すれば有効に作用する。若し感情に合わなければ、異物は副作用を引き起こす。

 肉体だけでなく、むしろ感情を診ることができれば、病気の予後は一目瞭然として、判断ができる。

 事情の悪い人は新幹線の過冷房の中でも平気でいられる。結構な人ほど、暑さ寒さに鋭敏かもしれない。

 家庭に病気がなくなり、心配事がなくなれば、それから家は栄えてくる。

 精神と肉体は同体であるので、肉体に一方的にビタミンを与えても、精神が変わらなければ、負担だけをかけることになり、むしろマイナスとして働く。

 

 

学問・教養

 

 こだわりのあるのが人生で、色々な勉強もすべて幸せにつながるようにしなさい。始めは、広くやりなさい。

 教養のない人は愛想つかされ易いし、理解ができ難い人は浄滅も遅い。

 学校で教わった事や習いごとは、どれだけ生きて使えるだろうか。

 

 

10.24

 

 すべての学問は、終局に於いて幸福に結びついて開花する様でなければならない。

 色々なことを知ってくると、何事をするにも、やりにくくなってくる。

 学問は幸福につながって初めて価値がある。世間には学問があるばっかりに、生命を落とすこともある。

 
 

 

 

            八島義郎

 

 
 
     
     
     
 
     
     






Λ

         
  自然 地球 生命 人体 幸せ
暮らし 知識 経営 歴史
八島ノート
竹内正道著作集 世界の名言
幸せのプロフェッショナル
Twitter  Twilog
Instagram  YouTube
LinkedIn  Andre_Louis
ご挨拶  竹内康正 
サポート
 
    ©2018 Yasumasa Takeuchi