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八島義郎 作・演出 歌唱劇「撫子」「猫柳」台本  昭和57年(1982年)春季・夏季・秋季歌唱劇パンフレット 山本幹雄「現代のカリスマ」  岡本好司「「こころ」と「からだ」」  宮武孝明「八島義郎先生説話抄」  八島ノート 昭和57年 竹内康正 筆録 八島義郎の言葉  Yashima Notes 1982 The Words of Yoshiro Yashima written by Yasumasa Takeuchi

八島義郎 作・演出 歌唱劇「撫子」「猫柳」台本  昭和57年(1982年)春期・夏期・秋期歌唱劇パンフレット
山本幹雄「現代のカリスマ」  岡本好司「「こころ」と「からだ」」  宮武孝明「八島義郎先生説話抄


  八島ノート  1982年  
八島ノート 昭和57年
秋季
     
   

  1982年  11月 12月
 
  5月 8月 10月 11月 12月

撫子  猫柳  温泉町の女  現代のカリスマ  若き日の八島義郎  自然現象
 
    

 
 

1982.5

昭和57年 春期歌唱劇「撫子」





 
 
 
 
 

 





























 


































































 

 

 

 

八島義郎 作・演出 歌唱劇「撫子」の台詞から

 

    第一場  樵の家  (昭和34年頃の夏の夜)

 

岳一 しらねえかどうかわかんねえけど なんでみんなを描きたがるだね、前々からそれが知りたかったんだあ。

洋三 あゝその事ですか。ぼくも以前そう思った時もあったのですよ。人間が一番美しいと思うもの、人間の理想の憧れの、その極を求めたのですね。山でしょうか、海でしょうか、花ですか、動物ですか。そのどれもが最後は人間にかなわない。美しさ、曲線、肉合、肌、どこをとっても人間に勝るものは無い。

 そして真理の当体とした神仏迄人間の姿とし、肉体の美しさを求めたあげくが、あのギリシャの写実を超えた素晴らしいものを生んだんでしょう。ミロのブイナスもその一つ。ローマもそれを学んだ。いや世界がその後に続いたのでしょう。結局は人間が人間の心の世界に求めたからでしょう。人間が中心だから、一番よいものは人間で、男と女とで、顔だ、姿だ、声だ、肌色だ等々云うので、犬だったら犬を選び、猿は猿を最も美しいと思い、鳥には鳥の世界がある、という事でしょう。それが自然ですものね。心に迫って来るものは赤裸な美しい人間そのものなのですね。

岳一 そんなことかい・・・。そういいやあ時に山で会う訓練士さんが犬にも好き嫌いがあって、人間が見て規めたどんな立派な犬でも嫌われ、雑種の見るからに変てこな奴が好かれたり、犬には犬か!!!!わかったような気がするぞ。着替える事にするべえか。

 

 

よしえ 今晩はあなたがなぜ絵画きになったのか聞かせてほしいのよ。

洋三 長くなりそうだなあ。

よしえ あなたお医者さんの息子だって云っていたでしょ。

洋三 ぼくは幼い時から自分で気付かずに、その時の気分を何かで現わしたくて仕方がなかった。ある時は泥土で、ある時はクレパスで、ある時は細工物で・・・常に何か求めて・・・それも自分の手で、自分のものを!と訳もわからないある感情が私をかり立てた。ただ訳もなく何か掴めないものをつかもうとして、いいかえれば池に写った月影を手にとろうとした、そんなものだったろうか・・・。

よしえ もっと続けて・・・

洋三 生長するに従って私は親の希望する医学には全く関心を持たなくなって行った。絵を、彫刻を、様々な工芸品、建造物、そんなものに一層深入りし、むさぼる様に素晴らしきパイオニヤ達の残したものに傾倒していった。

 身近から始まって手当り次第だった。日本画も洋画も木彫、石彫、金彫も、漆芸も、カント美学も勉強した。ゴッホ、ピカソ、マチス、ミケランジェロ、マイヨール、ロダン、ブルーデル。日本では景年、松園、契月、竹田、鉄斎、大観、芳崖・・・。清輝、西望、遡っては、康慶、運慶、湛慶、快慶・・・狩野派、四條派・・・何が何だかわからぬまゝに日々を過していたんだよ。でもどうにか少し掴めて来たみたいなんだ。

 でも悲しい事に無名作家は喰う為に、売絵のペンキ画や広告屋、看板屋の手伝いや時には似顔を描いたりしながら今に立派なものを残してやるぞ、と思い乍ら・・・私が望んだのは風景で、雄大で神聖な領域だったんだ。

 

 

第三場 撫子峠

 

よしえ あなた、将来きっと大家になるわよ。ねえ。

洋三 そう思って頑張るよ。でも話した通り、似顔なんか描いて喰いつないで、やっと今度の様なことで絵具もなくなるし、最後迄描き上げる余裕もなくてさ。

よしえ 今はそうでも、今にきっと大家になるわよ。私そう信じるの・・・

洋三 そうだ、君! ここが丁度よい、掛け給え。

        と平らな台場によしえを坐らせる

洋三 今日の記念に描き残すんだ。

よしえ いいわ、私の気持迄描いといて。

    洋三は、よしえにポーズを取らせながら傍に咲く撫子を一輪手折って、よしえの頭髪に差し、更に二・三輪手折ってよしえに持たすと、よしえはそれを胸に押しつける様にして持つ。洋三はスケッチブックを開いてコンテを取ると描き始める。

二人は時々瞳を合せると微笑を交す。辺りに鳥の声。

 

 

 

 

1982.8

昭和57年 夏期歌唱劇「猫柳」

 

 

 

 


























































































 

 

 

 

八島義郎 作・演出 歌唱劇「猫柳」の台詞から

 

第三場 回想 曽根の家

 

 静子は曽根家の末子で短大を出たばかりの評判の美人だった。さて曽根家には昔から種々な商人、お茶お華の先生、職人達そんな多くの人々が出入りしていた。

 達雄が遊びにやってくると、まだ高校生だった静子が何だかんだ言いながらよく顔を出したものだった。静子は達雄に好意的であったし、達雄も又静子が好きだった。二人の瞳の中には当人同士しかわからないある感情のうけわたしがあったのだ。

 

 

第四場 幕前 阪急梅田駅

 

 達雄はかつて静子がくれた折鶴やレースの花瓶敷を今でも大切に持っていて、達雄の男心に静子の女心がなんだか掴みようがない、なんとも妙なくすぐったいような、そういったものを感じさせたものだったが、達雄は今でもそれらを見ていると、静子の心が暖かい陽ざしの様に伝わってくるような気がするのであった。

そして・・・心ときめく今日は約束の木曜日。

 

 

第七場 六甲山の山頂

 

静子 私ね、前々からあなたのことが好きやったの、ほんまなのよ。でもね、私この秋、結婚することになったの。ずいぶん前やけどまだ高校時代にあなたが私のこと聞いてたって兄から聞いた時、私うれしかったわ。

これが本当に人を想う気持ちやわと気がついた時には遅かったの。それに私のとこ旧弊なんですの。親にそむくことも出来ないし私一人で生きていく力もないし、仕方ないの。

六甲山は春姿

弁士(OFF) 和服の静子を抱いた時、彼は帯の固さと案外の重さにぐっと力を入れたのだった。ふっと香るジャスミン。彼女の好みか・・・そして耳許にかかった熱い吐息が悩ましく胸に迫る。その時、鶯の高音。二人の心から一生涯消え去る事はないであろう。幕下る。

 

 

第八場 幕前 六甲山から神戸へ そして別れ

 

静子 もう二人だけでお話する時もないと思うと悲しいわ。でも忘れないでね、お元気でね。

浄正橋の日暮刻

弁士(OFF) 達雄は皆が目を見張るそんな美しい人が自分を愛していてくれる、そう思うと今更の様に「ふうー」と大きな溜息をついた。梅田から乗り換えだ。そして又乗換だ。香里園に戻る達雄の前に浄正橋の静子の立姿がつきまとう。そして思う。遂に一度の接吻もしなかった事を・・・良かったのか悪かったのか、しかし・・・なんとなく物足りない様な複雑な気持ちがして・・・

 

 

 

 

1982.10

昭和57年 秋期歌唱劇「温泉町の女」

 

 

 

 


















































































 











 
 
 
 
 






































































































 















































 















 
 
 
 




 

 

 

 

 

 哲広は学生の頃、東京上野桜木町の叔母の家を訪ね、近くに住む高校生、利子と桜の花の下で知り合い、二人は互いにほのかな恋心を抱く。

 その後、「日本宇宙開発協会」横浜分室に勤務となった哲広は二年後、東京本社に栄転。送別会の席、クラブ「つるみ」で思いもかけず、利子に会う。しかし利子は哲広の前から姿を消す。

 それから一年、哲広は博多研究所へ転勤。何というめぐりあわせか、東京を離れる途中の伊豆史跡巡りで、温泉町の女(ゆのまちのひと)となっていた利子と出会う。

 夢の様な数日が過ぎ、哲広はひとり博多へ。バスに乗った哲広に「向うに着いてから読んでね」と手紙を渡した利子は、伊豆から姿を消していったのであった。

叔母の家  ベランダに八島義郎(遥雲)作「温泉町の女」の絵

クラブ「鶴見」 送別会があり、哲広は二年前に姿を消した利子に会う。彼女は「住む世界が違う」と言ったまま、姿を消す。

浜辺の訣れ 哲広は、思い出の一夜を思い浮かべる。利子は言う。「いつまでも、お元気でね」・・・・・

目の中に飛び込んで来た 熱海の夜景

 

 

 
 

1982.11

現代のカリスマ 八島義郎と萬華の世界」 山本幹雄著 より抜粋

 

 

 

 

 
  
 
 

































 
































 












 














 

































 


















































 




































 
















 



























 




























 




























綿











 
















 





 



















 

 

崇神の神詞

         

 

 

 

 

若き日の八島義郎

 

 ある晩、一場の夢をみた。そこは仏具店。自分はその店の居間に上りこんで、かなりの歳の女主人と話をしている。隣の部屋にはイガ栗頭に兵児帯姿の、これまたかなりの歳の男性がいた。居間から通りの方をみると、店に仏壇・仏具・仏像がならべてあり、ガラス戸の向うはもちろん通りである。しばらくして、数珠を肩からたらした背の高い白い行者姿の人物が、ガラス戸ごしに店の中を見ている。妙栄。母につたえたところ、「能勢の妙見様あたりのことかもしれない」。能勢まで出かけて「妙栄」さがし。完全に夢が現になっている。夢が現実に先行していた。〔昭和29年〕

 

 何時見ても真面目に働いている者で、他人に不利な事をする者はない。出世払いでよろしい。わしは置いていく。といって、米を置いていった。坂東米穀店。その後ろ姿にいつも手を合わせた。

 

 八島家の下屋敷は本所。父・信次が鹿島を辞め、中国に渡って経営した金山も三井財閥が引き継いだ。父が中国から引き揚げる際、大成建設から声がかかり、それを機に八島家は関西に定住、御影その他に居を構えた。兄弟姉妹5人の長男。広い屋敷のうしろの池にむかって、邸宅の一室から釣り糸を投げ、終日、ウキを見ながら絵を描いて過ごした。

 よし、一生を賭けて芸術の世界に入ろう。

 美の創造とは、対象の本質をみずからの心眼にとらえて命がけで純粋に造形すること。

 

 尼崎、金楽寺の一角。ハンチング、ニッカ・ボッカ、トカゲ皮の靴。下駄売り。あんな恰好しはって、ほんまにええ衆やったんやろ、可愛そうにゲタもよう売りはらへん。いっちょ、近所に声かけて助けたろ。オッちゃん気張りや。義っちゃん、つらかったなァ。一個いくらの細工ものとして注文先に納品。

 

 やることはやります。しかし、そのような大きな仏像は、今いって今すぐというわけにはいきません。加藤清正公もよくこの目で見て、納得のゆく清正公を彫刻するには、木材にもよい材質をえらばなくてはいけません。日数がかかってもよろしければ、彫ってさし上げます。〔昭和30年末〕

 遠く、見もしらぬ人間が、夢枕にあらわれた「清正公」のまぼろしにすがって生への回帰にあがいているという現実と、それが思いもかけず能勢山中の一彫刻家の己につながった、という縁の重さと不思議さ。

 一心にノミを振るえば「清正公」が現われるという営為と、ひとりの人間の命とが深くかかわりあっているという、背骨が痛くなるような緊張関係の中に身を置いて、創作活動。

 

 

限りなく透明な「変身」

 

 体の中からすべてのものが洗い落とされ、何もかも透過されてしまったまるで別の自分が今ここに立っている。ここは白雪皚々、目のとどく限りどこまでも白く、どこまでも透きとおっていて、物音ひとつしないところである。ここは今まで誰ひとり来たこともない未踏の場所。・・・・恐る恐る足をふみ出すと、はじめての足あとがつく、はじめての私の足あとが。戦きの一歩、一歩が果てしない未知の地平をおし拡げる。

 その時、自分の体内から、それまでの自分というものが、すべて抜け落ちてしまって、まるで透明人間になったような白じらとした体感を自覚した。同時に、目の前にどこまでも澄みわたった光景が果てしなくひろがり、その中へ何の抵抗もなく自然に溶けこんでいくような、筆舌にはとうてい表現のしようもない状態を経験した。体が変わった

 ああ、お姉さん久しぶりだね、ところで今日は何日?・・・・これを御覧。ほら、今日姉が来る

 

 落葉を日に透かして見た。真ん中の太い軸を中心に、左右にわかれた綺麗な葉脈。すべては「相対」ではないか。左右、上下、表裏、すべてそうではないか。この自然界、森羅万象のうちに、それ自身、単相において存在するものは何一つない。存在そのものは相対の相においてのみ存在しうるものであり、絶対単相の存在などということは本来的にありえない矛盾である。まして人間的諸関係においては、事情はもっと整然としている。人はすべて男女の性別、老幼の序列、といった整然とした複合的相対の枠組のなかに位置して、その生を営んでいる。

 

 自分の体を、たとえば左右・上下・前後に区分けして、その体感がどの部位に来ているかをまず確認し、それが、男・女、老・幼などいずれに相即する体感であるかを多数例に当りながら収録し、整理していけば、諸もろの体感が伝えようとしている人間的諸関係が何であるかを、やがて明確に読みとることが可能になるはずである。右にくれば男なのか女なのか、そのどちらを意味するのか、といったいわば整理された予測とその適否の実証のつみ重ねが、それを可能にするはずである。

 左側の太股からにきて親指へとつたわる、かなりはっきりしたこの感触は、男性の来訪者のすぐそこまでの接近を知らせているもの。

 中学生たちの下校時をえらんで能勢電鉄に乗り、正しい姿勢でシートに腰をかけて、膝に手がふれるかふれないかに体の力を抜き、自分の心を生徒たちと自分の中間におくような気持ちで、かれらの話に耳を傾ける。内面に抱いた心情のままを口に出して語り合う。右の人差指にくるあの感じは、母親との葛藤の存在をあらわす感触。

 

 人と対面する時に起こる体感は、相手の精神的・肉体的な事情を反射する体感として起こっているらしい。場合によっては、相手がごく近未来に出くわすであろう事情をあらかじめ知らせる体感であったり、時によっては、相手が体内にかかえているひずみ、精神的な悩みや病気などと相関する体感であったり、とにかく、それらははっきりと相手の事情を写し出している反応である。

 人と対面し、自身の体内にある何かが、その相手と激しい勢いで電流のように交流していく感じ。自己の体内の何ものかが、相手の内奥にある何ものかと、グォーンと共鳴を起こしながら目に見えない磁気的な渦流を起こす。自分のまるで意識しない何ものかが、勝手に他者を照射し、不可視な交流をおこす。

 この先で自動車に気をつけて下さい。胃がお悪いですね。奥様に手古摺っておられますね。「阿呆か」。「験糞の悪りィ、なにヌカしてケッかんネ」。「いきなりズバリッでっしゃろ」。「よう観はるでえ、あの人は」。ふと気がついてみると、もう数人、ときによっては十数人もつめかけてきて、勝手に上りこんでいる。深日町から連れてこられた、痛々しいまでに足を引きずった老婆が、夕方、帰る間際に嬉しそうに頭を下げて礼を言った。「おかげさんで、ずっと楽になりました。来た甲斐ありました」。神経痛がおさまった。

 

 勝手に上りこんでいた連中のひとりが、突然に妙な唸り声をあげはじめ、しばらく手足をひきつらせ震わせていたかと思うと、その場にのけ反ってひっくり返り、そのまま動かなくなってしまった。ふと気がつくと、ほかにも二、三の者が大欠伸やゲップを連発したり、妙な仕種をはじめている。お化け屋敷でもあるまいし、これは困った、そう思って焦れば焦るほど、「現象」はおさまるどころか一層激しくなる。自分が逃げ出したあとすぐに連中は正常にもどったとのこと。

 他者の歪が自己の体感として写し出された場合、それが具体的にその人のどんな歪をあらわす体感なのかは、懸命な努力の結果、ほぼ正確に探知できるようになってはいたが、それと並んで、いつものあの状態を媒介にして他者の病気を和らげたり、ある種の「霊感」状態にすることなどは全く思いもよらぬことであった。はっきりとある超越的な影響力と治癒力が、自分にそなわっていることを認めざるをえないではないか。

 

 ある朝、常ならざる体感によって、ごく自然に母親が心象風景として写り、その状態が容易ならざることを直感して、驚きと不安に襲われた。その直後、久しく絶えてなかった父親からの手紙が届いた。母が重症のソコヒのため、阪大病院の宇山博士によって両眼手術の直前である。一散に能勢の山を下り、寝屋川にあった実家に飛びこんで母と対座した。異常な体感、そこにおこる激しい生磁気的な交流、一週間におよぶそのような母親との共存の時間の経過は、手術の中止だけではなく、両眼の視力の見事な復活と、以降、母の死にいたるまでのほぼ二十年間にわたる視力の維持という、まことに信じ難い不可思議を成し遂げた。

 

 

数々の証

 

 わが身にそなわったこのような能力は、もはや自己制御の域をはるかに突破しているし、自己の内に閉鎖させておくべき段階でもない。すでに人びとはさまざまな事情をかかえてここに集合しはじめているではないか。われは一介の仏師、あずかり知らぬところと、うそぶいていられるであろうか。体がきつく反応するからといって、背を向けてノミ先に逃避しきれるであろうか。縁あって訪れる人たちの事情をもろに己の痛みとして受けとめ、みずからの写鏡にとらえたその原因を説いてやらねばならないのではないか。それだけではない、全霊をもってかれらと生磁気的な媒流をおこない、事情を変え、生の歓びを回復させてやるべきではないか。お前はもはや仏師であって仏師でない何者かに転生しているではないか。およぶかぎり多数の人びとの幸せのために身を挺して奉仕すべき、無限に開かれた何者かへの転生。人の「幸せ」のために生きよ。痛みや違和感など、それがどんなに痛烈であろうと、もはや何ほどのことがあろうか。まして、彼我のあいだの生磁気的な媒流による発作など、なにをうろたえる理由があろうか。耐えて、超えていかねばならない。人びとの「幸せ」への奉仕、それがお前の変身の真義である。満座の人を前に、もはや〔彫刻の〕仕事は出来ません。どうか私の体を使ってなおして下さい。人のための幸せのプロへ。〔昭和32年〕

 

 いつもこういう感情を使っていると、のここらが痛んできて悪くなりますよ。そこが悪いのは、普段こういう気持ちで生活をしているからです。悪い感情を捨て、いつも良い感情を使って下さい。私の体を使って治して下さい

 貴方は病気の問屋ですね。しばらく通ってごらんなさい。(朝起きると血の海。お手洗い、肉塊が次から次へと、12、3個も)心配しなくても大丈夫です

 善さん。頭が高い。赤心とは何か

 皆さんの将来の姿はどのようでしょうか。K、5年半先には長屋の小さな家に入っている。

 三ヵ月通って見なさい、良くなります

 明日ここにやってくる人は何人で、そのうち和歌山からは何人、豊中からは何人。

 (霊感の出るものが自然に演じて見せる。ある男性のネクタイを締め上げた)この現象は、わたしに見えている今の貴男の家庭状況を、そのままあらわしています。貴男の浮気に奥様は深刻な気持ちになっておられるのです。

 (昭和33年。垂水。鎧直垂、股立、戦の装束をした男女が沢山。若衆姿の人が何かの上にお茶をのせて捧げる)そうですか。(生首が転がっている。同行者の先祖がここで死亡。首を打て。源平の合戦のあと。切腹者の何番目の頸椎を断つかまでを見とどけたとき、それを筆録した)この武者の血をひく、はるかな末裔はいまも生存しているし、年が明けて早そうに「山荘」を訪れてくるにちがいない、それも8世紀も前のこの武者の「因縁」を背負って。その男は新春第四番目の来訪者であるはずだ。

 

 

崇神」への仮託

 

 古事記。崇神御真木入日子印恵の命、師木の水垣の宮に坐して、天の下治めたまひき。かれ、この御世を称へて、初国知らしめしし御真木の天皇(みまきのすめらみこと)とまをす。・・・・御陵は山の辺の道の勾の岡の上にあり。

 橘の木。葱坊主と麦畑。京都、竹田。城南宮。。これだったのか、これだったのか。それにしても、この気持ちはいったいどうしたことなのか。

 勅願寺・安楽寿院。老住職は斎藤了全。その石は、春華門院の墓石。宮内庁。そうか、あの激しく火の匂う若き巫女は闇をひらく天照であったのか。あの草木しげる大墳墓は応神の陵、あの巨陵は仁徳のそれか、いつも同じ風物のなかで招きかける二人の女性は、京の城南に縁り深い八条春華の両院であるのか。あの三十三間堂界隈のたたずまいと、石庭・龍安寺裏山の風景は、後白河一条の陵墓の所在を告げていたのか。あの深い抱擁感を伴う情感の高まりは、このことを意味していたのか。

 昭和34年5月10日。御陵参拝に行きたいのですが・・・。奈良。龍安寺の裏山。はい、左へ行って下さい。御陵。仁和寺城南宮。お墓。バスで大阪に。窓の外を騎馬の蹄の音がついてくる。天王山からサントリーの工場を過ぎたあたりで、それがバッタリ消えてしまった。春華門院の手の者が所領はずれまで見送ってくれたのです。いま、なぜ、「崇神」なのか。なぜ、それを介して、いま、この己なのか。

 

 

還俗の行

 

 24歳頃の秋。制作につかれて、気分転換にと、下駄履きで御影の家を出たのが午後3時頃、旧知の和尚のいる裏六甲の唐櫃にある専念寺にむかった。表六甲を越えて谷に下り、蝮をつかまえ、歩きつづけるうちに真暗闇となり、空の星明りをたよりに進んだ。有馬を西に抜けて、庫裏の戸口に辿りついた。和尚が、「今頃、誰やねん。・・・・ええっ、ほんまにセン(彫刻の先生)かいな。狸ちゃうやろなあ。早よう、入り」と迎え入れて呉れたのが深夜の11時40分頃であった。「ちょっとな、セン、手伝てや。あのな、明日、御馳走するさかいな」。押入れの大火鉢に鯉が3匹。その時の居候はかなり長かった。何しろ気楽で居心地がよい。夜になると御本尊の真裏の電灯のない部屋で、灯明をたよりに読経をくりかえし、時には和尚の尻について、法事に出向くといった殊勝なこともやった。

 饅頭塚、専念寺の裏の墓地を抜けて細い山道を行くと、赤松円心の分髪を納めたという塚。夜中になるとしばしば寺を抜け出していって、その土饅頭のてっぺんにある石に跨った。そこに行くと気がおさまる。天空の星以外に光はなく、あたりは一面の闇。生涯にたった一作だけでよい、後世に残る仕事が出来ればそれでよいのだ。そのために、狂わしくも己の耳をそぎ落としたやつもいるではないか。芸術とはそうしたものだ。俺もそれに命を賭けて、いつかは男になる。〔昭和13年〕

 

 昭和29年の中秋。〔40歳〕能勢山中の樵小屋でこうして深夜ひとり端坐しているこの自分と、かつて若かりし日、裏六甲の暗夜の土饅頭にまたがっていたあの自分と。気がつくと、ひどく空腹。今日は朝から何も食べていなかった。食うものがなかった。ここは自分の生の果、芸術に賭けてきた人生の果ではないか。本質的になんの変化も前進もないではないか。あの土饅頭に乗って「芸術」を想い昂ぶっていたとき、すでに行き詰っていた。まったくの独りぼっちになってしまっている。共に生の歓喜を分かちあえる人の世の紐帯はもうほとんど断ち切られてしまった。この世で一番大切なもの、人と人とのつながりの中だけで通わせ合えるこの世の「幸せ」を、どこかに置き忘れてしまったのではないか。

 自分は彫師として、何よりも大切なノミ一筋に賭けてやってきた。芸道ひと筋といえばいかにも聞えがよい。しかし、この半生を経て、いまどこに来たのか。一寸さきも見えぬ暗がりの中に閉塞してしまって、いよいよ明日食うものもないところまできてしまった。自分にはこの道が一番適しているはずだし、随分と情熱を燃やしてきた。しかし、今、考えてみると、それは自分が得手と思いこんでいるものに、勝手にのめり込んでもがいていただけではなかったのか。独りで力みつづける天邪鬼ではなかったのか。大方の人の生きざま、本当の意味での生のふくよかさ、人の「幸せ」とは何か。「芸」にかかわることが、本当の意味での「幸せ」なのか。一番遠く片寄ったところを歩んでいた。己の幸せとは何か。己の生のすべてに対する全面的な問い直し。みずからの生の組みかえからはじめていかねばならない。

 仏師がノミ先から仏形を削り出し、それに入魂して仏像とする。仏師修行を通じて多くの仏典になじみ、当時はすでに「法橋」の位をえていた。木型に「」をふきこんで仏像にする。そのことに若い命を燃やして昂ぶっていた。己の「幸せ」とは何か。人間の「幸せ」ということについて、「仏」は何を教え、何を与えてくれるのか。樵小屋に電灯はない。水はからとる。昼は彫り仕事にはげむ。冬ともなれば能勢の山の寒さは痛烈。夜がくると「仏」との対決がはじまる。原典、解説書、片端しから読む。視力の限界がきたら、蝋燭を吹き消し真暗がりの中で問答をはじめる。三毒、貪欲・瞋恚・愚痴を滅するとは如何。眠気がくれば、それを払うために声高に読経する。そして力つきればそのまま煎餅布団にくるまって泥のように眠る。「仏」は己にとって何であり、何を与えてくれるのか。向いあう相手は、想念の中で高空に赤く輝く釈迦。生身の我にとって釈迦に発する「仏」の世界とは何か。言え、釈尊人の「幸せ」とは何か

 

 いままで「仏」を背負って生きてきた。捨てるか、抱き続けるか。「仏」の説く此世は「無明の大夜」である。一切は空。すべてを捨てよ。色即是空、穢土の此世を諦観して、彼岸の永生、「大日如来」への合一を希求するより他に術はない。此世に「幸せ」はない。すべてが虚無である此世には、本来「幸せ」などあろうはずはない、それを直視した釈迦は、此世に対する徹底した諦観によってついに彼岸にむかって「解脱」し「仏」化した。そこにはわれら衆生の「生身」の「幸せ」を鼓舞し喚起してくれる何かが欠落している。いま、この世のこの「生身」に生命のうずきを感じる「幸せ」がなくて何の意味があるのか。「仏」の世界はそれをまったく回避し拒否している。生きているこの世の己の「幸せ」とは何か、それをどう掴むか

 

 

人の「性」

 

 真暗闇の能勢の樵小屋の中で、独りぼっちで行き詰まってしまった自分を真底から不幸だと思った。腹が減っても食い物を手に入れられないほどに貧乏だからではない。いや、それもある。しかし、一番こたえたのは、自分はいまこうして「生きている」のだといういのちの熱感を共有できる者はだれひとり存在しないような、底無しの孤独感であった。俺はどこかで人生を踏み違えたのではないか。仏師となったからではない。己ただ一人というところにまで孤独化しきってしまったこの生き方は、人間の本然的な生き方でないのではないか。人間の本然的な生き方に外れていることを不幸というなら、俺は一番「幸せ」から遠い道を独り歩んでいたのではないか。人が、此世で人間的な生、可及的に最大多数の人びととの交わりを通してふくよかな生を営むことが、「幸せ」ということの基本態ではないのか。それが人の世の「縁」ということであり、だからこそ、古人もまた繰り返し、その大切さを教えたのではないか。

 己をそのように追い込んでいったものが己の深部にある性(さが)であるとはっきり意識した。この性が、いわば仏像という己自身をこれでもかこれでもかと抉りこみ、彫りこませていた。それが生き甲斐であり、ゾクゾクするほどに楽しかった。俺は「芸」に生きる男なのだ。「芸」さえ磨けば、他に用はない。こんな楽しいことはない。世間並みの俗な付き合いなど邪魔になるだけで、まっぴら御免、知ったことではない。第一、世間の奴らと馴れ馴れしく付き合うなどは思っただけでも反吐が出る。それがもって生まれた自分の「気質」であり、根源質、性であり、己の「幸せ」をもっとも妨げてきた魔性なのだと気がついた。これを撃たねば「幸せ」はめぐってこない。だからこそ、まさにその性を撃つ「荒行」に入った。

 

 

「性」を撃つ

 

 およそ体を変えられそうなことはすべて試みた。薬草の飲用からはじまって、あらゆる反「ヒト」的な所業の数々を、恐れもせずに次々と試みていった。捨て身で自分を生体実験していった。「科学的」な体質の改変・性の変革。生物的な体質の改変。まるでお門違い。性とは「ヒト」という生物であるという「モノ」の次元にあるのではなく、それを超えた「人」の次元にある。己のもっとも自然な感情のままに営まれる日常生活、そこに写し出される己の姿(個性)をしっかりと捉え、それを統御する。自己のもっとも自然で得手な日常生活をいちど全面的に中断し、徹底的に組み替える。人あっての自分ではないか、人間とはどういう字を書くのか、自分だけ独りで存在しようということ自体、すでに反人間的である。己の「幸せ」は、人様の中にあってこそ見つけ出せる。人様とまともに交わることも出来ないで、独りよがりに生きていって、まともな「幸せ」などくる訳がない。自分の「幸せ」というのは、人様と交わり、人様を真底から幸せにしてあげようとすることを通してやってくる。自分の「幸せ」というのは、そのように、人様の「幸せ」と表裏、相関において出てくる。人との交わりを「喜び」と感謝をもって実践する。人様とまっとうに交わり、喜びをもって人様の幸せにかかわらせて貰って、真の人間への回帰を果たそう。

 

 もはや己に「芸」は不要であり、意味はない。他に能はないから、仏像は彫る。だが、それは自己を仮借なく彫りこむ、あの「芸術」彫刻であってはならない。単に生活の糧としてのみ、仕事としてのみ彫る。今日からはそのように淡々と削る。喜んで彫る。大事な注文主、お堂の執事は、納める彫り物を横目にみながら、「ほら、また一個いくらの人形はんが出来てきたで。急いたはるよって、早う勘定したげて去んでもろてや」。もうその時、喜んで「芸」を捨てていた。だから、この言葉を、有り難い現金決済の商売用語として、にこにこと喜んで聞いた。ぐっと何かをこらえて聞いたのではない。「還俗」してきて、人様の中で生活をさせてもらうための、ビジネスとして注文主への芯からの感謝の念をもって、にこにことこの言葉を聞いた。それまでの生命であった「芸」を喜んで捨てた

 自分の体から何物かが徐々に、そして確実に、抜け落ちていくという体感。何物かが、体から抜け落ちはじめている。このままいって数ヵ月もすれば、自分の体はすっかり溶解し透けてしまうのではないかという、いままでかつて一度も経験したことのない緊張感と畏怖感を伴う体感が出てきた。体から何物かが抜けはじめる。抜けていく、透けていく。白雪皚々・・・・。「芸」を捨てたあとの仏像制作の過程は、ただ、淡々と木屑を払うという作業に変わった。そのようにして「我」のない作業に入った時、その彫っている仏像がそのまま注文主となって写り、その木像の節目の具合によって、注文主の疾患や事情が的確に写りはじめた。仏像は己ではなく、注文主という他者であり、それが写りはじめた。

 

 

「呪術」の質
「過・現・未」の明鏡

 

 「神」・「仏」とは完全に無縁となっていた。獲得された力は、自己変革というきわめて合理的、科学的営為によってユニークに体現されたものである。シャーマン、覡の類ではない。まさに自力「幸せ」を求めて前人未踏を達成した。僕に接した者は、何物かが自己の体内にドッと流入してくる感じに。僕もまた、グォーンという体感をもった激しい媒流を感じる。対者はそのとき笑い、泣き、転び、口走り、「霊感」現象を露呈する。老幼・男女を問わない。そのとき、地位、財産、教養などの外的・後天的エレメントは、すべて面白いほど物の役にも立たない。相手にないものは何も感じない。

 

 

人の世の「同質・相対・循環」

 

 人間が、「ヒト」でありながら、固有性をもった「人」として存在するのは、遠大な過去からの「血」の順列・組み合わせによって生得されてきた「遺伝」・「質」、すなわち「性」・根源質によってである。「同質」と「相対」と「循環」。あなたの「現在」は、あなたの遠い「過去」の再現である。あなたの「過去」は、あなたの「現在」をこえて、あなたの「未来」のなかに再現されていく。人間は、自己の過・現・未をいまの一瞬に凝集して生きている。あなたの過・現・未が写る。すべてが見透かされる。あなたの性が「浄化」されていく。

 

 

 

 

 
 

1982.12

萬華のゾーン

 

 あなたは、いま、”近ごろの若い者は”と思っておられましたね。たとえば、その人がいまお金を持っているかどうかについての体感は、この左手のこの腕のここにピッときます。自分でもほんとに不思議です。その人にあることは写り、ないことは流れて何も写らない

 

 

自然現象

 

 反応がおこり、体感がくる。あ、この人はこういう状態の人だな。今、こういう状態にあるのだな。服装や持ち物をみれば、まさにその人のその状態にふさわしいものを着用し所持している。その人の服装・持ち物で、すぐさまその人の本質的な状態が読みとれる。服装や持ち物で人を見る。

 服装や持ち物は、その人の「幸せ」度のたしかなあらわれである。素っ裸の人間を順々にとり巻いていく服装・持ち物・その他のものからはじまって、その人の日常生活に関係するものすべては、その人の現在の状態に即したものとしてある。たとえば、その人の赤いマフラーは、今のその人の内面的な状態をあらわす、あらわれとしての「自然現象」である。

 

縦縞 やってもやっても、ものにならない。独りよがりで、他人と背中あわせの状態、金銭的にも問題を抱えている。
横縞 いまが頂上で、あとは見通しが暗く、落ちるばかり。また、現状から抜け出せない。一般に、縞がはっきりしたもの、縞柄の大きいものほどこういうあらわれがきつい。
鼠色・灰色
・グレー
反感、反撥、反抗意識が強く、意地っ張り。ただし、やる気はあるが、その場合も、上の者の顔色をうかがっている。
茶色 物事が成就しない。やっても、結局は駄目。また、人と少々いがみ合っている。ただし、物事が現状で安定するというプラス面もある。
紺色 人にすがったり、人を当てにしている。
若葉色・鴬色 愛情面で相手に反感をもったり、うらめしく思っている。

   

 人びとの生のすべての局面にかかわる「自然現象」。現実の生きているその人のその一瞬の生、幸せそのものの在り方と深くかかわった、もっとも生なましい図柄・色彩。それは、その人の現実生活にとって重大な意味をもつ人の生そのものをとらえる「自然現象」

 熱心に耳を傾け、克明にメモしていた若い母親がいた。彼女は、こういう場合の、こういうことは、「あらわれ(験)」が良くない、いや、大変に危険な「あらわれ」である、といった「自然現象」を素直に実行していた。ある日、大阪市バスに子供を連れて乗っていて、たまたま危険な「自然現象」(第三者から見れば何の変哲もないちょっとしたこと)が出て、それに気がつき、すぐ次のバス停で下車、路線を変更して帰宅したが、彼女らが乗っていたバスは、天六の地下鉄工事現場での、あの史上空前の大爆発惨事(昭和45年4月8日)に出遭って、生地獄を現出した。難をまぬがれた「自然現象」とは、人の死活にまでかかわる重みをもっている。ある人がたまたまそういう現象の状態にあるということは、何でもないことのようであっても、すでに死相となって見えている場合がある。

 

 

病気と事情

 

 その人にあることは写り、ないことは流れて何も写らない

 (わたしの病気について、もっといろいろのことを教えて下さい。とくに、また病気が「循環」(再発)しないようにするには、どうすればよろしいでしょうか)

 貴男は、いつも物事にこだわり、ああでもない、こうでもないと迷ってばかりいる。そのくせ、非常に頑固で、勝手にこうと思い込んだら梃子でも動こうとしないし、また、自分にちょっとでも都合の悪いことには、すぐカーッと腹を立てる方です。どうか、せいぜいここへお見えになって下さい。(「補佐」をつとめる一女性から)

 病気そのものは、たしかに肉体の綻びであり、破れである。しかし、なぜそのような肉体の傷が発生し、病気になるのか、ということになると、それは、その人にふさわしいから、そうなるのだというより他にいいようがない。

 もっというと、その人の病気は、その人のもっとも内面にあるもの(性)からきているのである。それは、日常生活の上では、まず何よりもその人の感情・気持ちとして出てくる。その人が自分独特の感情のままに生活しているということは、その人の性むき出しに、性のまま生活しているということである。

 だからある者は何かというとすぐ人と争い、ある者はつねに人を妬ましく思い、ある者はいつも欲得づくの行動をとる。それが、その人の生の歪であり、そういう人が、そのままでいくと、やがて、肉体の綻び、破れとして顕在化し、病気を患うという「自然現象」となる。

 

肝疾患 いまいましいと思う心、不満。色々と迷う性質。
肝硬変 迷い、頑固さ。
胆嚢炎 いまいましい。口に出して言えない。意見が合わず、背中合わせ。冷淡。
腎疾患 内緒、秘密の心。金銭、異性へのこだわり。
糖尿病 自分本位で、ワンマン的な性格。認めてもらえない、淋しさ、自分を良く見せたい心。周囲に口やかましい人がいて、細かいことに気を遣う立場。

 

 人間、後天的なものは何ひとつない。すべては先天的である。それが、「新陳代謝」で現在のその人の身の上に出てきているのだ。(昭和55年5月4日)

 「人間」は、「先天的な条件付け」「遺伝的な条件付け」の刻印を受けたもの。

 

高血圧 カッとなる性格。一般的に循環器疾患にかかる人は、夢をもった性格で、夢の実現に努力をする。それを阻害しようとする条件があれば、それを徹底的に排除しようとする。それが出来ない時は、恨みとして心にしまい込み、日頃はおくびにも出さない。一方、そのことをくよくよ考えると、心臓疾患となって表れる。傾向としては攻撃的な性格で、非常に燃えやすい

 

 人の「事情」もまた、そのまま、その人にふさわしいものとして出てきている。

 (吹田市の宅造業者の夫婦) 赤字は当然です。これは奥様がやらかした赤字です。奥様、今日から店に出ることをおやめなさい。そして、家庭にいて、何でも旦那様のおっしゃる通り、誠心誠意、一生懸命つかえ、旦那様に喜ばれるいい奥様におなりなさい。仕事や店のことは、これっぽちも考えないでやって下さい。アノほうでも、うんと旦那様と楽しんで喜ばせて下さい(ニヤリ)。

 

 

倫理・道徳

 

 真心、明るく、正しく。

 

 

「霊感」・二つのポイント

 

 アラブ系の踊りを踊る者、インド風の踊りを披露する者、日本古来の宮廷風の舞。ペルシアの踊り、胡人。

 

 弥生中期のことである。敦賀湾の入口、武生よりの海岸に、五百人弱の集団が上陸した。この集団は三隊に分かれて大和を目指した。一派は湖西を経て約七ヵ月のちに、本隊は湖東を経て約四ヵ月のちに、いま一派は伊勢・志摩、熊野川、十津川を経て約一年半のちに、それぞれ大和入りを果たした。五条付近が最初の定住地であった。このグループは、北九州の遠賀川流域に展開していた集団であるが、それ以前には華南にいた。かれらは太陽神崇拝を行い、鉄器文化、とくに優れた刀剣技術をもっていた。その時は長老に率いられていたが、血統的な中心人物は、当時はまだ十歳にもならぬ幼女であり、十四、五歳になって巫女的統治者となった。それが台与でありのちに天照と呼ばれるに至ったリーダーであり、その甥が「記・紀」にいうところの「崇神」である。この集団の中心血脈の源流は遠くペルシアである。

 彼らは、前四世紀のアレキサンダーの東征ペルシアの滅亡(B.C.330年)などの動乱期に開始された、人びとの各地への移動の一分派として東漸してきた連中である。大和に入るまでに幾世紀にもわたる各地への移住と定住を繰り返してきた。だから、かれらはペルシアを中心としながらも、東ヨーロッパ、中近東の血や、インド、東南アジア、華南の諸地域の血をも内包した混血集団であった。

 いわゆる大和政権の成立過程を、物部、葛城、三輪、近江、河内といった諸王朝の配列においてとらえるという学説とはかなり違って、ここでは、とにかく、「初国知らしめしし「崇神」とそのグループを「大和政権」の血統の原点におく。

 

 

「幸せ」への談話と手記

 

 とにかく僕が今からいう感情を、お宅が離せたら、その腫瘍は三ヶ月で消えます。でも、そういうは恐らく直らないと思います。たぶん手術が必要となると思いますが、その手術には本当に時期があります。まず体質を変えなさい。僕が関西に来た時には、どんな時でも、僕のあとを追いかけて来て下さい。貴女にはそれだけのものがあるのですから、僕の身体を利用して下さい。体質が変わった時に必ず喜ぶ結果が出ますよ、それまでは手術することはなりません。

 そんなに悲観したら駄目ですよ。とってもとっても順調に恢復していますよ。もう少し主人に感謝をしなさい。まだまだ感謝が足りません。感謝、感謝。目は愛情、すなわち感謝です。この言葉を理解しなさい。あなたは自分の目を治すために、御主人の身内にお付き合いに行かれるのもよろしいでしょう。しかし、それはあくまでも形式だけの気持ちであって、そういう形式だけで行く時は、相手はドアをしめて迎えます。あなたが、本当に裸になって行く気持ちになるまで、行かないでよろしい。

 

 銭勘定の合わない商売は初めからせん方がよい。銭勘定とはどういうものかというと、人の感情である。人様とどれだけ心を合わせて行くか、感情を合わせて行くか、その感情の合ったところで、即ち銭勘定も合ってくる

 独立して商売して宜しいですよ。終戦のドサクサの何もない時に旗を揚げた連中が今日の社会を築き、生き残っている。最悪の時に、自分を維持出来る人間は絶対強い。

 今週は紳士物がよいですよ。何日と何日。

 自分でやったら、やっただけの結果が出る。ボーナス、0.3ヶ月。

 君、今何いった。口惜しいですか。君は、ここは経営者に味方するところだとはっきり言いましたね。じゃあ、口惜しかったら、今度ここへ来る時には経営者になって来なさい。そしたら、君に味方してあげますから。

 世の中を見ると、一番よく働いたら、当然、それだけの報酬を貰わなければいけない方もいる。・・・・人が寝ている時でも働き、夏だったら炎天下で、裸になって働いて、あれだけ自分の身を痛めて働く者もいる。しかし、その人たちの生活は、明日食べるものがあるかどうかも判らん、今晩寝るところがあるかどうかも判らん、という行き詰った生活の場合もある。

 ところが、ある人は朝十時、十一時頃に出社して、二、三時間、ポンポンと判を押して、あとはよろしく頼むといって、すっと帰ってしまうような生活している人もある。その違いというものを、真剣に考えてみなさい。どこが違うのですか。運が良いとか才能があるとかいうことも確かにあるでしょうが、そんなものではない。もっと違ったものがあるはずだ。

 君のそのボーナスが少ないという一番の原因は、やはりそこに喜びがない、感謝がない。唯もう、靴を売るだけの事で、ある時には、お客さんに強引に売りつけているかも分からないし、ある時には、ただ、自分は他の者に絶対に負けないということだけで売っているのじゃないか。靴を買って頂いた、お金を頂いた、自分が販売をさせて貰っている、ということにおいて、本当の自分の喜びというものを、なにも感じていない。そういう喜びと感謝の感情が本当に満たされていないから、君のボーナスも充たされていないんだ。あの「お答え」は私自身の主観的な「お答え」でなく、あくまでも客観的な「お答え」として出ているのだから、もう少し自分の生き方に対して喜びを持たなくてはいけない。

 靴屋として独立して行くためには、お客さんの身嗜み、好み、立場、懐具合や、すべての物を、見た瞬間に察知して、そういう状態でおすすめする時には、それが否応なしに「ピチッ」と合ってくる。さて、今の君だと、何足ぐらい靴を出したら、お客さんが買って下さるか、その足数を調べてみよう。まず十三足から十五足は出さないと売れない。だけど、それでは、買ってくれてるのでなく、義理で、「これだけ出しているんやから、やむを得ず買わんと仕方がない」という売り方しか君はしていないのだ。だから、お客さんは二度と来てくれない。あそこへ行くと押しつけられるとね。それではお客の本当の感情というものを満たしていないのだ、君は。

 三足~四足ぐらいの靴を出した時点で、お客さんが喜んでくれ、買ってくれるような自分になっていなければ、とても独立することは出来ない。今の君はあくまでも店員でしかない。だから、いま私がいったような人間になるために努力しなさい。そういうことが出来た時にちゃんとこちらから言葉をかけてあげましょう。また、東京の銀座であれ、どこであれ、一流の店員として通用出来るものになっておれば、僕はどこでも紹介してあげる。今はそういうところで通用する貴方でない。

 独立しなさい。

 それは当然だろうな。君は親に捨てられているという条件をもっている。社長というのは親に等しいものだ。君には親に捨てられる「体質」がある。その体質を「消滅」していかなかったら、つまり変えていかなかったら、当然、社会でも同じ事が起こる。君は、やはりバッチリ親に捨てられている。だから、そういう事情を二度と繰り返さないためには、今がよい機会だから、捨てられたという恨み、つらみから自分の心をはずして行かなければいけない。

 結構ですよ。僕から見て、君を自分の子供と思うかどうかは僕の自由だよ

 その店を辞めてはいけない。3~4年したら、今のその店から別のところへ変われるように努力しなさい。9月30日でその店を引き上げて変わりなさい。それから探しなさい。

 よろしい。

 

 一年ほどかかりますから、気長にいらっしゃい。

 おしっこが出ないのは、男の人に対していまいましい感情を持っているからですよ。

 

 私の体を使って癒(なお)して下さい。わたしには疎かにすべき一日、一時間もない。驕って止まればそれまで、前進あるのみ

 

 
 

 

            八島義郎

 

 

 
 
     
     
     
 
     
     






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